【末森城】

愛知県 末森城 あいちけん すえもりじょう
■末森城(別名=末盛城)=見学自由
■城山八幡宮
駐車場=参拝者駐車場(無料) (2011.7.31現在)
住所=名古屋市千種区城山町
この時は、県道30号を南下し、姫ケ池通1信号を過ぎて、 末盛通2信号の手前の路地(歩道に、城山八幡宮の案内がある路地)を 左折。坂を上がっていく。

末森城




天文17年(1548)織田信秀がこの地に城を築き、古渡城から移った。 守山城を守る弟・信光と連携して、三河側からの松平・今川に対する 備えの為であった。信秀が病死後、信長の弟・信行が 城主となった。その後、信行は兄信長と対立し、稲生原の合戦を 起こしたが敗れ、永禄元年(1558)清州城で謀殺された。 城は、廃城となったといわれる。城山八幡宮は、この末森城の 殆どを境内としている。
武道場がある曲輪 本丸へ 参拝者駐車場
(左)養心殿(武道場)が立つ。ここは二の丸?右側が本丸の土塁。 (真ん中)武道場側から城山八幡宮へ。
本丸 末森城址碑 本丸北側の曲輪
(左)城山八幡宮の社殿の手前(駐車場等)が、本丸跡。 (真ん中)本丸に立つ。 (右)本丸側から社殿方面。
空堀
(左)本丸南側の赤い橋と空堀。
(右)赤い橋から下りて、東側?
の空堀と本丸の土塁(写真右側)。
(左下)多分、本丸西側。赤い鳥居
が見えている気がするんだけど…。
(下真ん中)連理木に向かう途中。
だから、こちらも西側の空堀かな。
(右下)本丸南西?の空堀と土塁。
※赤い橋以外、方角が怪しい(笑)
連理木(れんりぼく)
この連理木は、自生のアベマキが古くなったもので、 幹周り3m53cm、根周り4m30cm、樹高15m、名古屋市内 最大のアベマキである。 地上約3mの所から二幹に分かれ、6m程の所で再び合一して 連理となり、それから上にも枝を出している。 枝の分岐点には、ネズミモチを生じている。この寄生木は、 今まで如何なる旱魃(かんばつ)にも衰えたことがないものである。 連理木は1つの枝が他の枝と連なり、木目が通じたもので、 古来、吉兆とされている。「連理の契り」「連理の枕」等と たとえられ、男女の仲の睦まじく深い契りをいい、 夫婦円満、縁結びの御神木として信仰されている。 アベマキはブナ科の落葉高木、アベはアバタの意、 樹皮のコルク層が発達して凹凸があるからで、マキは 賞賛名の真木または薪の意ともいう。 (城山八幡宮社務所の案内板より)
(左)カシノナガキクイムシの被害から保護中。 (右)見上げて。パワーを貰った気がする(^^)
二の丸跡・昭和塾堂
(左)現在、大学院の研究で使用されている昭和塾堂。 (真ん中)曲輪付近は小高い。 (右)小高くなった側から。

■末森城
空堀がとにかく良かった♪ところで、北側から向かうと 城山八幡宮の裏側だけど、行き止まりで、駐車場も無い…(^^;) どうして、北側から向かったのかなぁ…?
ちなみに、見学時間は約20分。

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