【宇利城】

愛知県 宇利城 あいちけん うりじょう
■宇利城=見学自由
駐車場=無し(この時は路駐)  (2011.7.28現在)
住所=新城市中宇利仁田
この時は、静岡から愛知方面へ国道301号を北上し、 県道81号との富岡信号で右折。東へ進んで、 城跡の案内に従って、中宇利信号で左折。 また案内に従って左折、それから右折して進むと右側の田んぼに 説明板がある。車は、付近の大丈夫そうな所に路駐。

宇利城
宇利城は、連郭式と螺旋式を併用した山城で、文明年間 (1469〜87)に熊谷重実により創建されたものである。
■宇利の戦い… 享禄3年(1530)11月4日、松平清康は 3千余りの軍勢を率いて、東三河を目指し岡崎を出発した。 東三河は今川氏の勢力範囲であったが、氏輝の代になると その力も失われてきた。 清康はこの機に東三河を手に入れようとした。 吉田、田原、牛久保、作手、田峯、野田、西郷、伊奈、 設楽などの城主は清泰に従ったが、宇利城主熊谷実長は なかなか従わないので、宇利城へ向けて攻撃を始めた。 野田城主・菅沼定則を案内として、東上(一宮町)で 豊川を渡り、八名井の今水寺で休息し、宇利に向かった。 城の大手には、松平右京亮親盛(清康の叔父)、松平内膳 信定(親盛の弟)が、搦手には清康の旗本が攻撃にあたり、 作手の奥平貞勝が先導した。この戦いで、城方370余名、 松平方90名が死傷し、大手の激戦では松平右京亮が討死した。 宇利城は、三方を山に囲まれた天然の要害で清康は苦戦 したが、城内の松平方に通じた岩瀬庄右衛門が城に火を つけたので、城主実長は裏山伝いにおちのびていった。 (新城市教育委員会の案内板より・絵図も)
遠景と城址入口と説明板 説明板 松平右京亮戦死跡&大手跡
(左)写真右側が説明板。城址へは左折れで山へ。 (真ん中)これが目印。 左奥に愛車がいるけど、見えないな…。
井戸跡 分岐 井戸跡
写真では見えづらいけど、
写真の下真ん中に穴がある。
(真ん中)右上へ進むと本丸、姫御殿へ。 左下に行くと井戸(右側の写真)。
井戸から少し先へ進んで上方に、 本丸下側の石垣(1番上の写真)がある。
本丸虎口(右が姫御殿) 本丸 宇利城址碑
(左)左側が本丸の虎口。 (真ん中)本丸内の「石垣へ」の案内から 下を見ると、凄く急!さすがに下りなかった(^^;)
西櫓跡 物見櫓跡 土塁上から
姫御殿と本丸の間 姫御殿 納所跡
(左)左が姫御殿、右が本丸。 (真ん中)本丸から。 (右)本丸から見下ろして。上から見ると、形がよく分かる♪
御馬屋平
本丸や姫御殿と離れた場所だけど、 土塁を見ながら歩くのがよかった♪ (左)虎口。 (右)御馬屋平の土塁。

■宇利城
道が細くて、どうしよう…と思ったけど、ここなら 大丈夫だろう…な所に路駐し城跡へ(^^;) せっせと上がって(10分も歩かなかったと思う。)、 松平右京亮戦死跡に到着、そこから4分程度で本丸♪ 本丸内には土塁が見られ、遺構の案内もあるので嬉しい♪ 「石垣へ」ってあるから、ここから?って下をのぞくと、 急っ(@@)石垣は見たいけど、さすがにここからは 下りなかった(^^;)でも、石垣は見たかったので、 ここかなぁ?って、突き進んで発見したけど(^w^) 納所跡等、本丸から見たけど、離れている御馬屋平は見学に。 土塁を見ながら山の中を歩くのは、気持ちが良かった♪ それに、御馬屋平の土塁も良かったし(^^)ただ、 蚊を寄せ付けないというリングを落としたのには、 ガックリした(^^;)今回の城跡巡り、1発目だったのに…。 ちなみに、見学時間は約40分。

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