トロとまったり・tripのページ(一柳陣屋)

愛媛県 一柳陣屋

えひめけん ひとつやなぎじんや

■一柳直家公陣屋跡=見学自由
駐車場=スーパーの無料駐車場が有り。
■一柳陣屋門(川之江八幡神社)=見学自由
駐車場=境内は広いけどPは「?」

2009/5/2現在

住所=四国中央市川之江町
この時は、松山自動車道 三島川之江I.Cを下りて、真っすぐの川之江方面の県道333号へ。 次に、国道11号へ右折して、進む。(※別々の理由は下で。)
陣屋跡へは、国道11号の山下公園前交差点信号の次の信号を右折。 少し進むと左側にスーパーがあって、納品側付近に石碑がある。
陣屋門へは、国道11号の川之江港通交差点信号を県道121号へ右折、 商店街の中を通り、信号を左折。次に右折、そのまま進むと左に川之江八幡神社。

一柳直家公陣屋跡

一柳陣屋の広さは約88,000u以上の広さを誇り、東は栄町通り、西は新町沿いの区間まで、 また、南は愛媛銀行やフジ川之江店、北は吉祥院や天神ノ森あたりまでを含む規模であった。 一柳家が播州小野に去った後、陣屋は半分に縮小され、新たに松山藩御預かり代官陣屋、幕府直轄代官陣屋となってからも、 川之江は旧宇摩の政治の中枢として海陸交通の要衝として、発展を続けた。(碑より)

【左】スーパーのフジ川之江店の納品側の石碑。
【真ん中】石碑から栄町通りを。
【右】一柳直家公陣屋跡のスーパーのフジ川之江店から。

川之江藩 一柳陣屋門

【左】付近にあった碑。1番上で使用した写真が、陣屋門。

陣屋門は、一柳直家公が川之江藩(2万8千6百石)の藩主となっていた寛永13年(1636)から寛永19年(1642)の間、新町にあった陣屋の表門である。 直家公は、城山々上に城を再建しようと夢見ていたが、寛永の飢饉等で時期が悪く、志を得ないうちに急病にかかって、江戸で亡くなった。 跡継ぎがないため川之江藩は取り潰しとなり断絶、養子直次は播州小野(1万石)に移っていった。 記録ではその時陣屋にあった表門を宝積寺(現川之江八幡神社)に賜うとある。 この門は松山城築城の際に用いられている慶長尺(一間=六尺五寸)を使って建てられており、江戸初期の建物であることに間違いない。 全国的に見ても陣屋門が残っている例は少なく、特に二階建ての陣屋門はここにしかない貴重なものである。 (川之江市文化財保護審議委員 石川定男・愛媛県文化財保護審議委員 河合 勤・案内板より)

一柳陣屋 2009.5.2記

仏殿城(川之江城)を見学した後、夕方6時くらいだったけど、まだ明るかったので、折角近くにあるんだし…と、向かってみた。 暗くなる前に写したかったので、まず陣屋門へ。地図通りに、県道へ曲がってみると商店街!アーケードの下を通るなんて、不思議な感じだった(@@) 下調べから神社に駐車場があるか無いか「?」で、進んでまず神社が見えた所に、ゴミステーションがあったので、置かせて貰って徒歩で向かうことに(^^;) すると、すぐ先の神社の隅に陣屋門があったので、すぐにあったんだ…なんて拍子抜け(笑)とても立派な陣屋門で、明るいうちに来れて良かった(^^) 境内がとても広い神社で、陣屋門の前にもスペースはあるけれど、駐車場の表記はないし、境内だからとめていいかは「?」。 というわけで、メインを見た後は陣屋跡へ。ちなみに、一旦、国道へ出るのだけど、出る手前の右側に畠山城跡がある。 さて、陣屋跡。ここはスーパーがあって、駐車場に困らなかったし、陣屋跡の石碑もスーパーの納品側にあって、とても分かりやすかった(^^) スーパーでは、関東では買えない物も購入できたし、一石二鳥〜♪そうそう、ここからも仏殿城が見えて、夕日に照らされたシルエットがいい感じだった♪ (※上記のアクセスが、効率が悪く、別々なのは、こういう理由です。)

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