トロとまったり・tripのページ(中尾城)

愛媛県 中尾城

えひめけん なかおじょう

■中尾城=見学自由
■持珠院
駐車場=駐車スペース

2015/7/3現在

住所=西宇和郡伊方町三机
この時は、国道197号から県道254号へ、県道254号を北上して進んでいくと複雑な交差点があり、 道路沿いの左側に侍番所跡がある。右折して海沿いの道を進み、三机バス停を過ぎた路地を左折(旅館まつもとの手前)、 左側の公園に旧役場跡の標柱があり、そのまま進んで、道なりに右カーブを少し進んだ左側に御仮屋跡の標柱、 その先の坂(県道255号)を上がって左側に中尾城跡(持珠院)がある。その手前付近の広い所に駐車可。 (※なぜ侍番所跡の所から右折して海沿いに行ったかというと、目の前に交番があった為、 さすがに路駐はどうか思ったので、海沿いの広い所に車を待機させたから。)

中尾城

三机湾を望む森山と呼ばれる小高い丘にある中世城郭である。 延宝9(1681)に記された地誌『宇和旧記』に、 「一中尾城、此城主は井上善兵衛尉重房(いのうえぜんべえのじょうしげふさ)と云(いい)、」 此(この)親父(しんぷ)之時、河野(こうの)殿より傍御敷(そばおしき)に三文字の紋を給はる由、 其昔は此処へ度々海賊等仕掛候て、万民住宅の心も静ならざる所に、萩森(はぎもり)殿より、 此人(このひと)を被遣(つかわされ)てより、所も繁昌し、家居も数々出来たりと伝へり」とある。 城主と伝えられる井上善兵衛重房は、三机の長養寺を創建したとも伝えられる人物で、 同寺の墓地にある墓碑によれば、天正15年(1587)に亡くなっている。 現在この山頂にも「井上様」と呼ばれる小祠が祀られ、周辺には空堀等も確認できる。 明治15年(1882)、中腹に日蓮宗寺院、海森山持珠院(じしゅういん)が建立され、 以来近隣の檀家信徒の方々により大切に守られながら現在に至っている。 (伊方町教育委員会・伊方町文化財保護審議会の案内板より)

【左】伊方特有の石垣。この手前付近が広くなっているので、路駐が多かった。
【真ん中】石段を上がって中尾城へ。ここでもいい感じの石垣が見ることが出来る(^^)草が凄いけど…。
【右】石段を上がりつつ、三机港を眺める。1番奥の左端が襖鼻。

【左&真ん中】丁度、パノラマっぽくなった(^^)
【右】石段を上がった先に、中尾城跡の標柱が立つ。

【左】持珠院。境内がきれいにされてあるのとソテツが印象的だった。
【右】石垣が葉っぱまみれに…。

遠景

【真ん中】白い建物の右側に見えるのが中尾城跡。

侍番所跡

三机港は天然の砂嘴による良港の為、古来避難港としての要衝であった。 江戸時代の三机浦は宇和島藩主参勤交代の途中、御仮屋、長養寺で休憩宿泊されており、 特に殿宮 須賀の八幡宮へは九州諸藩主も航海安全祈願の為参拝される等重要な港であった。 そのため宇和島藩はこの地に侍番所を設置し、治安維持に当たらせたのである。 番所には役人のほか3名の下番人を配置し、鉄砲、槍等が常備され、 建物の周囲には宇和島藩九曜の紋入りの幕が張られ、夜間は常夜灯が点灯されるなど警備に威容を示していた。 (瀬戸町教育委員会の碑より)

旧役場跡

【左&真ん中】公園が旧役場跡。象のすべり台は、横から上がる仕様。
【右】標柱は、木々に隠れるように立っていた。

御仮屋跡

【左&真ん中】小高い所に御仮屋跡の標柱が立っていた。
【右】中尾城側から御仮屋方面。写真右寄りの青い屋根の奥付近。

中尾城 2015.7.3記

中尾城の他、侍番所や御仮屋の跡が見ることができてよかった(^^)
(別ページで紹介)→ 三机港須賀防波堤灯台

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