トロとまったり・tripのページ(堀切城)

福岡県 堀切城

ふくおかけん ほりきりじょう

■堀切城
■玉垂神社・荒仁神社
駐車場=無し(※堀切公民館を利用した)

2015/12/28現在

住所=みやま市瀬高町河内(かわち)
この時は、国道208号と県道94号との江の浦本丸信号で、県道94号へ東へ進み、その後の分岐で県道778号へ(分かりづらい)。 県道778号を道なりに進んで行くと、左側に公園があって、その奥に堀切公民館で、反対側が城跡になる。

堀切城

堀切城は、田尻氏によって築かれた。

堀切公民館

【左】フェンスの中が遊園地(公園)、左奥が堀切公民館、右側が城跡付近。
【真ん中】堀切農業研修所と書かれた建物は、堀切公民館。ここに駐車して見学へ。
【右】遊園地(公園)は、とても広い。

堀切城

【左】公民館側から。道路奥の民家部分が城跡で、右端の電柱付近に堀切寺屋敷跡がある。
【右】遠景。左の写真から堀切寺屋敷跡方面へ歩いて…。

【パノラマっぽく加工】写真左奥が公民館、田んぼの奥に水路、立ち並ぶ民家部分が城跡で、写真右端の電柱の所が堀切寺屋敷跡。

堀切寺屋敷跡

【左&真ん中】堀切寺屋敷跡に、石柱が立つ。
【右】屋敷跡に沿う水堀。これも名残なのかな。

水堀

【左】写真右手前が、堀切寺屋敷跡。水堀を見る為、写真左側の道へ。
【真ん中】水路が続いている。
【右】堀切寺屋敷跡方面を振り返って。

【左】上真ん中の写真の中央から右側。水堀が巡らされている(^^)
【右】上真ん中の写真を左へ進んだ所。左側にお地蔵さんがいた。 ※1番上の写真の場所はここ。

【左】水路側から堀切寺屋敷跡方面。
【右】水路の端。

荒仁神社・玉垂神社へ

【左】公民館の反対側の道を進んで、荒仁神社・玉垂神社へ。写真奥に鳥居がある。
【真ん中】左の写真の奥の荒仁神社と書かれた鳥居。
【右】荒仁神社・玉垂神社付近に水堀が残る。

荒仁神社・玉垂神社

【左】玉垂神社の鳥居。
【真ん中】左の写真の鳥居の右側。
【右】鳥居の次の門。

■玉垂神社の鳥居(肥前式)…この鳥居は、肥前式の石鳥居と言われており、筑後地方ではその製造年代の古さから、特筆すべきものとされている。 高さ約2.4m、幅1.5mの小形の鳥居で、銘はないが建立は室町時代から安土桃山時代(1338〜1600)の間と推定されている。 特徴は、笠木の反りが緩く、笠木と島木が彫り分けられており、笠木鼻は島木上端からすぐ突き出ている。 額束には、神社名が彫り込まれているのが一般的だが、この鳥居では18cm角の額束に円紋が浮き彫りされている。 これらの特徴から、肥前式石鳥居の古い型式であるとされている。(みやま市南校区まちづくり協議会の案内板より)

※上記の説明の鳥居は、左の写真の左端の玉垂神社大楠の右奥の石鳥居のこと。
【左】写真左端が玉垂神社大楠、その右奥が肥前式の石鳥居。ここにも水堀が見られる。
【右】玉垂神社を正面から。左側が荒仁神社。

玉垂神社大楠

写真右側に写るのが大楠。幹の内部が煙突状に空洞というのが不思議!

この大楠は、玉垂神社が建立されたとされる延久2年(1070)以前からあったと言い伝えられており、樹齢1000年、あるいはそれ以上ということになる。 幹の内部は煙突状に空洞となっていることが確認されている。

樹高 46m/根回り 25m/胸高周囲 8m/
枝下 10m/枝張り 東西35m・南北30m
(但し、昭和56年町文化財指定時の数値)

平成21年3月 (みやま市南校区まちづくり協議会の案内板より)

堀切城 2015.12.28記

名残の水路が見られてよかった(^^) 荒仁神社・玉垂神社の見学はだんにゃに任せたので、肥前式の石鳥居の単体の写真は無く、セット状態に(^^;) ちなみに見学時間は、荒仁神社・玉垂神社も含めて10分弱。

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