トロとまったり・tripのページ(犬塚城)

福岡県 犬塚城

ふくおかけん いぬづかじょう

■犬塚城
■天満宮
駐車場=天満宮に駐車可

2015/12/27現在

住所=久留米市三潴町玉満(たまみつ)原口
この時は、県道701号と県道23号との早津崎信号で県道23号へ南下。 右側の小さな「小犬塚入口」の看板の交差点を右折。西へ進むと右側に土塁と消えかけの「土塁跡と陣堀」の標柱が立つ。 その土塁沿いに進むと天満宮に駐車可。

犬塚城

応仁の乱(1467〜77)の頃、時の九州探題職で肥前綾部(現・佐賀県中原町)城主・渋川教直(のりなお)が筑後の土豪の行動を探るために築城。 長男政実(まさざね)を城主としたが、文明7年(1475)政実は27歳で死去した。 その後、綾部城内での渋川家の内紛は、筑前肥前守護職の少弐政資(まさすけ)につけ込まれ、 教直の三男で綾部城主の刀祢王丸(とねおうまる)は、延徳元年(1489)政資に落城させられ犬塚城に落ち延びた。 延徳3年、政資と豊後筑後守護職の大友政親(まさちか)の軍が出兵し、 筑後の土豪衆は、我先にと駆け寄り犬塚城を攻めたので、刀祢王丸は防戦出来ずに落城し、肥前勝尾城(現・鳥栖市)へ遁(のが)れた。 落城後、政親に犬塚城番を命じられた蒲池繁久は、弟の家久を城主として任務に当たらせた。 家久は犬塚氏と改姓、その長男家貞は明応年間(1497頃)肥前神崎郡崎村(現・佐賀県千代田町)へ移住築城し、 周防長門守護職の大内義興に討たれた政資の遺児資元(すけもと)の挙兵加担を契機に一族は繁栄した。 犬塚家久は、永正元年(1504)大薮(現・大木町)へ移り円照寺を開いた。 その後、大善寺玉垂宮の大祝である隈鎮保(しずやす)が犬塚城主となり三十五町四反を領有した。 天正15年(1587)太閤秀吉の九州平定で没収され廃城となり、江戸初期に村人達が古城を開き田畑とし、寛永15年(1638)天満宮を遷した。 大正3年(1914)三潴郡の耕地整理で城堀は埋め立てられ、現在は水路土居として再利用された土塁遺構と、社の東に櫓台に用いた古墳らしき遺構や陣堀が残っている。 また、城門(張り口=原口)の跡と伝える宮裏口の坂や馬場、城ノ上の地名に往時を偲ぶことができる。 平成12月3月(三潴町教育委員会の説明碑より)

土塁跡と陣堀

城主の住む本丸館を陣屋鋪と俗称し、東西五十間、南北五十間、周囲を高さ一間程の土塁で固め、 外側門(消えかけで?状態)二〜五間の堀巡らせた。昭和62年7月1日(犬塚護城会 三潴郷土研究会の標柱より)

【左】天満宮から南東の土塁。「不審者に注意!」「犬のフンは持ち帰ろう」の看板が…(^^;)
【真ん中】左の写真の右側で、消えかけの大きな標柱が立つ。別のフンの看板も(^^;)
【右】左の写真の反対側(南側)にも土塁が見られたけど、これは違うのかな?

【左】結構な高さがある。
【右】天満宮側からで、長い土塁が見ごたえがある(^^)

【左】土塁上。
【右】(切り取り加工)天満宮側からの土塁。右側の茶色は、敷物が反射したもの。

本丸

【左】土塁側から本丸方面。参道の両側付近が本丸なんだそう。
【真ん中】境内側から参道の東側。
【右】境内側から参道の西側。

天満宮へ

【左】土塁側から天満宮へ続く車道。
【真ん中】楼門側から南の参道を。
【右】参道の立派な犬塚城跡の碑。

楼門

【左】玉満天満神社の幟が立っていて、華やか。
【真ん中】凄く気になる彫刻。落ちないようにつかんでいるのか、飛び降りる瞬間なのか?
【右】内部は、普通に龍や花だった。

天満宮

【左&真ん中】天満宮の社殿。
【右】牛がいた(^^)

【3枚】天満宮の境内東側。

【3枚】境内北側。
【左】木じゃないし、何を囲っているのかな…。
【真ん中】城門跡への道。
【右】犬塚城跡の説明碑。

【3枚】天満宮の境内西側。

城門跡

犬塚城は、応仁の乱(1467)頃、九州探題職の渋川教直が肥前綾部城の支城として築き、 長男の政実に守らせたが、戦国争乱に城主は渋川・犬塚・隈氏と替り、 天正15年(1587)太閤秀吉の九州平定に廃城となる。
原口とは城門(城戸口)である見張口がなまったものであり、その昔、 武者共はここから坂道を登り本丸館(俗称陣屋鋪、神社境内南側の田園一帯)に詰めかけたのであろう。(標柱より)

天満宮から北西にある城門跡で、大きな標柱が立っている。
【左&真ん中】西側から。
【右】西方面。

犬塚城 2015.12.27記

高さがあって長い土塁が見ごたえがあった♪ 「不審者に注意」の看板を見て、土塁を写す自分の姿って怪しくないか?…と思った(笑) 駐車場が不安だったけど、天満宮へ車で行けたのでよかった。 天満宮に到着した時、高校生(かな?)のカップルがいたのだけど、気まずいのか移動してくれた。 おかげで、ゆっくりと見ることができた(^^) 残念だったのは、城門跡を見学中、付近で何かを燃やしていて、髪の毛に煙の匂いがついたこと。 この後、ずっと匂いに悩まされた(^^;)ちなみに、見学時間はのんびりと約25分(土塁、天満宮、城門+移動時間も含めて)。

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