トロとまったり・tripのページ(酒見城)

福岡県 酒見城

ふくおかけん さけみじょう

■酒見城
■酒見納骨堂
■大川公園、風浪宮
駐車場=無し(大川公園に駐車可)

2015/12/27現在

住所=大川市酒見
この時は、国道442号と県道710号との宮内信号で県道710号を北上、 その後の信号で右折、県道710号を北東へ進み、左の路地(大川公園の南側の道)へ左折。 川手前の交差点から手前(東側)の路地を南下して酒見納骨堂へ。 (※この時は大川公園から徒歩で。)

酒見城

納骨堂がある墓地に、説明板が立つ。

酒見城跡は、大字酒見字上城内・下城内一帯に広がり、現在、城内の高地(約30アール)は共同墓地になっている。(旧大川町役場 調) 築城年代については、天正8年(1580)龍造寺隆信が筑後酒見に一城を築き、鍋島信生(直茂)をもってこれを守らしむという記録(陰徳記)があるが、 南北朝期、肥後の菊池武安が、酒見城を攻撃したという文書もあり、現在のところ不明である。 天正15年(1587)には、下筑後を支配した立花宗茂は、酒見城督に由布美作を充て、城料百十三町を預け、早船大船など五隻を配置している。 この頃の酒見城は、本丸・二の丸・馬場などを持ち、城としての機能を十分に備えたものだった。 慶長6年(1601)田中吉政が筑後に入国すると、奉行口分田甚左ェ門によって多くの城が壊され田畑となった。(口分田開) 榎津城町の榎津城は、元和6年(1620)まで遺ったが、酒見城は吉政入国で取り壊されたという。(大川市教育委員会の案内板より)

酒見城への路地

【左】大川公園の南側の路地で、納骨堂への入口。真奥が川手前の交差点。
【真ん中】入口を角度を変えて。
【右】入口から少し先を。

大川公園

風浪宮外苑の大川公園は、2万1千平方メートルの敷地内に数百本の桜をはじめ、 つつじ、紅葉などが四季を色どり市民に親しまれている。 シーズンともなれば、美しい日本庭園と調和した眺めには風情豊かなものがあり、 公園内には郷土が生んだ大作曲家古賀政男直筆の曲碑「影を慕いて」がある。(説明板より)

【左】大川公園の無料駐車場。
【真ん中】駐車場の灯篭型の時計。大きかった!
【右】大川公園には大きな池があった。

アヒルが泳いでいたり、年配の方達がくつろいでいたり、のんびりした公園だった。

【左】古賀政男先生直筆歌碑の「影を慕いて」。
【真ん中】「葦切りや我に大川堤有り」の俳句碑と説明碑。
【右】公園のすぐそばのしらさぎ幼稚園の中に、磯良塚の巨石と酒見貝塚があった。

風浪宮

大川公園の南東にある風浪宮。鳥居から見ただけだけど、立派だった(^^)

酒見城 2015.12.27記

納骨堂への入口が分からず、車でウロウロ。結局、車では断念し、徒歩で納骨堂へ。 場所が場所だけに、なんとも行きにくいわ、写しにくいわ…(^^;) 車は城跡の北側にある大川公園に駐車し、城跡と公園の二手に分かれて見学した。 風浪宮は石鳥居からの遠景のみだけど。 ちなみに、見学時間は約8分(移動時間+公園&風浪宮を少し。城跡見学だけなら約1分。)

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