ふくおかけん さるはみじょう
■猿喰城=見学自由
駐車場=無し
2008/8/13現在
住所=北九州市門司区猿喰
この時は、九州自動車道 新門司I.Cから左の大里方面へ。
トンネルを抜けて、東部斎場入口を右折して、突き当りを右折。
少しして右側に説明板と登山口。ちなみに、東部斎場入口に戻って、
その先の、城山霊園入口で霊園へ行くと、遠望が見ることができる。
【2枚】登山口。でも登らず…。1番上の写真は、城山霊園から写したもの。
鎌倉期、南北朝期の山城門司区猿喰に所在、古城山の山頂部に位置し、本丸跡と堀切などが残る。 本丸は60m程の楕円形で、鎌倉初期に門司親房が、門司城を本拠として勢力を振るった時に、 出城として築き、一族のものを置いたとされる。その後、南北朝期になると、 門司氏一族は南北方・北朝方に分かれた。猿喰城主・門司親頼は、南北朝方に属し、 北朝方に通じた門司城と対峙するが、貞治2年(正平18)に大内弘世(ひろよ)の大軍に攻囲され、 親頼以下討死し、落城した。豊前誌より(新門司病院 断酒会の案内板より)
猿喰城 2008.8.13記
登山口だけを写しただけで登らず。 ちなみに、大里から猿喰へ抜ける峠を、七ツ石峠と言い、七将亡霊伝説があるんだとか。 亡霊は、猿喰城の攻防で討死した南朝方の親頼ららしくて、7つの石をお墓として祀ったという。 今でも、城跡真向かいの崖の上に並んでいるらしい…。 見てないけど…。その後、城山霊園から遠望を写した。こうやって見ると、凄い山だ(@o@)