【曽根城】

岐阜県 曽根城 ぎふけん そねじょう
■曽根城=見学自由
■曽根城公園
■華渓寺
駐車場=無料駐車場       (2008.10.12現在)
住所=大垣市曽根町1丁目
この時は、国道417号を北上し、 赤坂新橋西信号で、県道217号へ右折。 すぐ県道230号になるけど、そのまま走り、 踏み切りを渡って、北方町1信号を左折。 曽根城公園の案内板がある曽根町2信号を右折。 少し先に左カーブになって、それから右へ(確かここにも 案内板があった気が…)。 左側に華渓寺があって、ここに駐車場がある。

曽根城
曽根城は、揖斐川の支流平野井川の湾曲部を 利用して築かれた平城である。 創建は室町時代末期に、稲葉通富(みちとみ)によって なされたと言われ、以後、稲葉氏の勢力拡大の拠点 になった。
この地は天正のはじめ、春日局の父、斎藤利三(としみつ)が、 城主稲葉一鉄の重臣として住んだ所である。 春日局は、稲葉一鉄(良通…よしみち)の姪、お安(あん)と斎藤利三との間に 生まれた子であり、後に一鉄(良通)の子・重通(しげみち)の養女となって、 稲葉正成に嫁した。 曽根城の創築年代は不明だが、西美濃三人衆の1人として活躍した 稲葉一鉄(良通)が、永禄10年(1567)織田信長に仕え、5万石を領したという。 その後、この城は一鉄(良通)の子、貞通(さだみち)と孫の典通(のりみち)を経て、 天正16年(1588)から西尾光教(みつのり)が在城した。 光教は関ケ原合戦(1600)に、西軍の守備する大垣城を攻略する 等の戦功をたて、戦後揖斐城に移り、曽根城は廃城になった。 一鉄(良通)の母の菩提寺である華渓寺も、享保19年(1743)に本丸跡に 移転した。なお、華渓寺所蔵の曽根古城跡図の中央部に「斎藤内蔵佐」と 利三の屋敷が記されているから、春日局はここで生まれたのではないかと いわれている。(案内板より)
(左)濃州曽根古城跡図。(「華渓寺を参考にして作成」。) (右)曽根城跡石碑。
曽根城本丸跡と復元石垣
発掘調査(平成元年4月)の結果、本丸に伴うと 思われる石垣と石敷遺構が発見された。石垣は、赤坂 金生山から産する石灰岩の自然石を並べ、石敷遺構と あわせて郭を形成している。更にその内側にも 主郭を囲んだ土塁と石垣が推測されている。 石垣の年代は、出土品等から稲葉一鉄時代 (1525〜79)と推定。 保存の為埋め戻し、地上復元されている。 (大垣市・大垣市教育委員会の案内板より)
本丸方面 梁川星巌・紅蘭の像
10月の夕方5時。写真を写せる時間に間に合ってよかった〜(^^) この日の城巡りの締めくくりに調度いいお城だった。

■曽根城
ここは春日局の生まれた地とは知らなかったので、ホホォ。 と城散策。城址碑、本丸跡の碑だけじゃなく、復元石垣(本物は地中)が 見ることができて大満足♪ 1番上の写真は、復元石垣なんだけど、凄く素敵に写せたので嬉しい〜(^^)

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