【墨俣一夜城】

岐阜県 墨俣一夜城祉 ぎふけん すのまたいちやじょうし
■墨俣一夜城歴史資料館
開館時間=9時〜16時半(入館は16時まで)
観覧料金=大人 200円
休館日=毎月曜(祝日の場合翌日)祝日の翌日
      12月29日〜1月3日
駐車場=無料          (2004.9.18現在)
住所=大垣市墨俣町墨俣城之越1742-1
(この時は)名神高速道路岐阜羽島I.Cから県道46号・153号を7km走った先を、 長良大橋方面に左折、長良大橋を渡った先を右折。 この時は、大垣城の次に行ったので、 国道21号を走り、渋滞を回避する為、 下牛牧交差点を右折、穂積町から安八町に入って少し すると、県道31号を左折。墨俣町に入って川手前の 県道23号を左折。お城が見えてくる。

墨俣城
戦国の頃、尾張の織田信長は、美濃進出の足場とする為、 洲股に砦を築こうと企て、佐久間信盛、柴田勝家等に築城を命じたが、 相次ぎ失敗したので、大いに怒った。時に木下藤吉郎秀吉進んでこれに当たる。 永禄9年9月、蜂須賀小六等の野武士二三千人を率いて、大小の 長屋十棟櫓十棟塀二千間木柵五万本分人夫一千人を使い、夜を 日に次いで普請を急がせた。七日程にて大かた城もでき、一夜の内に 塀櫓を押し立て、塗り立て完成したように見せかけたので 攻撃中の井ノ口の斎藤龍興の城兵八千余騎は驚いて敗走した。 信長はその功を賞し、秀吉を城主とした。 俗に一夜城という、秀吉出世の由緒ある城である。 (碑より)
※墨俣城の石碑を写したもの。所々読みづらい部分が多々あって、 数字の部分が特に、間違えているかも(^^;)
(右)2010.4.11に川沿いを通った時に写したもの。 ビックリするくらい凄い桜!またもや雨だったので、車中から…。
いろいろな角度から
昔はこんな立派な天守閣は無かったそう。 (真ん中)太閤出世橋から。(右)横から。
木下藤吉郎秀吉の像 太閤出世橋のひょうたん 藤吉郎の馬柵と城祉碑
太閤出世橋にお城をバックに像がある。 お城を散策していると、ふっと気付くとあった。 雷雨が凄かったので、像もビショビショ。 豊臣秀吉は、千成びょうたんを馬印に、次々と手柄を立て、 天下人の地位を手に入れた。(案内板より) ※ひょうたんに願い事を書いて、10月の 「すのまた秀吉出世まつり」の薪能の際、 かがり火になり念願が叶うらしい。 永禄9年(1566)9月、墨俣築城において斎藤勢の騎馬を 防ぐ為、地上高さ一間、地中三尺、松桧材使用、藤づる二重巻きにて 結び、城の周囲に二重に柵総数延長千八百間をめぐらした。 (案内板より)


■墨俣一夜城址
あと、10分早ければ入館出来たのに・・・と思いつつ、 城周りを散策する。が、雨足がひどくなり、雷まで!! ド〜ンと音が近くなり、あわわわわと車へ乗り込んだ。 帰り道の川沿いの道は、狭くて狭くて怖かった〜(汗) お城の感想…本当に秀吉さんが?とか思ったり(笑) 秀吉さんが作ったかは賛否両論らしい。それより雷雨 が怖くて、それどころじゃなかったのがホンネ(笑)

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