【五稜郭】

北海道 五稜郭 ほっかいどう ごりょうかく
■五稜郭公園=見学無料
■五稜郭タワー(新・五稜郭タワーは2006.4.1開館)
展望料金=大人630円
営業時間=(4/21〜10/20)8時〜19時
      =(10/21〜4/20)9時〜18時
駐車場=近辺の有料駐車場   (2005.8.1現在)
住所=函館市五稜郭町
この時は、道道571号を五稜郭公園方面へ進んで行き、 五稜郭タワーの手前の交差点を、右折。 道立美術館や芸術ホールの函館市芸術ホール駐車場が、右にあるので、 そこへ駐車した。(料金は2時間まで200円、2時間以降は30分毎に100円だった)

五稜郭

五稜郭は、安政(1854)に結ばれた日米和親条約(神奈川条約)によって 開港された函館をはじめとする北辺の防備の為、江戸幕府の手により、 安政4年(1857)4月に着工され、元治元年(1864)に完成した西洋式の城であり、 慶応3年(1867)10月の大政奉還後、新政府に移管された。 明治元年(1868)に起こった戊辰戦争では旧幕府脱走軍榎本武揚らによって 短期間占拠されたが、新政府軍に平定されてから開拓使、 陸軍省の所管を経て、大正3年(1914)以降、公園として市民に 開放されている。城の形が五稜形をしているのは、守備の際に死角を なくす為であり、武田斐三郎の指導のもとに、西洋式の築城法を とりいれて造られた。(案内板より)
五稜郭跡碑 一の橋 稜堡(りょうほ)
■稜堡…城郭本体から5ヶ所突き出したところ。5つの稜堡は、 それぞれ銃の射程内で、互いの援護射撃により、 防御側の死角を無くす。     (真ん中)五稜郭公園入口の橋。最初だけに一の橋。 (右)五稜郭タワーから。
半月堡(はんげつほ)
■半月堡…城郭本体から離れて独立し、稜堡や城郭内部に 通じる橋や大手門を守る。 当初は5ヶ所の計画だったが未完に終わった。 (左)五稜郭タワーから。  (真ん中)中の方の三角部分。  (右)タワーから見られてるのかな(*^^*)
半月堡の武者返し(はね出し)
一の橋を渡って、右の半月堡の武者返し。 郭内への入口と半月堡の石垣の所に、空堀が設けられいるそう。
二の橋
(左)ここから五稜郭タワーがいい感じだった♪ (真ん中)振り返って。 (右)表面上も三角に凹んでる半月堡から。
武田斐三郎(あやさぶろう)先生顕彰碑
■武田斐三郎(五稜郭築城設計及び監督、箱館奉行支配諸術調書教授役)
五稜郭は我が国初めての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費やして
元治元年(1864)に竣工した。のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争
の本城となった。築城100年記念に当たってこの碑を建てた。
(昭和39年(1964)7月18日 函館市)顕彰碑より。

頭(顔?)をなでると、頭が良くなるらしいので、 なでてみた(笑)
それにしても、触られ過ぎて、ツルツルで、ピカピカ☆だ(笑)
上を歩けど…同じ景色…。 火薬庫跡
旧幕府脱走軍が五稜郭を占領した
際、稜堡に大砲を設置。主塁の内側
に弾と火薬を保管する火薬庫を設置
した。

どれが火薬庫跡?と何度も下りて
上がっての繰り返し(^^;)多分、
下の所のこの辺り…だと思う。
見隠し塁
■見隠し塁… 外から直接曲輪内が見えないようにする為と 近くからの砲撃を防ぐ為のもの。
ずっと同じ景色だったけど、やっと視界が開けて…。 (左)大きな道を手前に行くと、裏門橋。右の石垣は見隠し塁。
(真ん中) 下から見ると、石垣が幾重にも見えるのが嬉しい(^^)  (右)裏門橋側から正面の見隠し塁を。
空堀
空堀は何度見ても素敵(^w^)
ちなみに、半月堡にも空堀がある。
裏門橋
(左)裏門橋。 (真ん中)裏門橋から見た堀。 (右)裏門橋の近くにあった五稜郭跡の碑。
ようやくここまで歩いてきた。でも、また戻るかと思うとちょっと…(^^;) 北海道と言えど、日陰以外、普通に暑いし…。
戻る事はさておき、ダラダラ汗をかきながら、堀の蓮で少し癒される。 ウソ。早く日陰に行きたくて仕方なかった(^^;)
箱館奉行所
安政元年(1854)、日米和親条約に調印した徳川幕府は、 箱館開港を決定するとともに、北辺防備と蝦夷地開拓を目的として、 箱館奉行を再度置いた。 当時の奉行所は、函館山の麓、現在の元町公園付近にあったが、 港に近く、山からも見え易いなど、軍事上極めて不利な事から、 竹内・堀の両奉行の建言により内陸部への移転が決まった。 工事は、安政4年に着工し、郭外の役宅、郭内の建物等を 含めて、およそ8年の歳月を経て、元治元年(1864)5月に ほぼ完成し、箱館奉行小出大和守秀実が検分の上、ここに移った。 五稜郭は、箱館奉行支配諸術調書教授役武田斐三郎が中世ヨーロッパで 発達した城塞都市をモデルとして設計したもので、当初「亀田 御役所土塁」と呼ばれた。 こうして、蝦夷地の政庁として造営された奉行所は、慶応2年(1866) までに全ての工事が完了したが、翌3年の大政奉還による幕府崩壊後も、 明治政府の箱館裁判所箱館府の役所として使用された。 さらに、明治元年(1868)10月に旧幕府脱走軍の榎本釜次郎らに占拠され、 翌2年5月までの間、箱館戦争の舞台となった。 幸いにも戦火を免れた庁舎は、開拓使本庁が札幌に移転する事になった 明治4年に、その資材とするために付属棟を含めて大半が解体された。
解体材は、函館税関(明治2年「箱館」は「函館」に改称)などに 利用され、払い下げを受けてその材を活用した民家もあったと言われている。 (案内板より。予想図は、函館市教育委員会の看板より。)
 (左&真ん中)箱館奉行所庁舎の復元の為の 発掘の最中。この地道な努力が、復元に結びつくと思うと凄い!
 (右)その先は広場。それにしても、どこもかしこも犬連れが多かった。散歩コース?
五稜郭タワー(低い方が五稜郭タワー。高い方が新・五稜郭タワー。)
朝早い五稜郭タワーは、誰もいなくて展望室は貸しきり状態(^^)のんびり見れた。 城が好きな自分にとって、やっぱり五稜郭を見れるのは嬉しい限り。上から見ると 本当に☆型で、大きさにもびっくり!広角レンズでも入りきらないよ〜(^^;) でも、今の五稜郭タワーでは、斜めに見るから、結局きちんとした星型は 写せないんだけど。今、五稜郭タワーの近くに新・五稜郭タワーが建築中で 107mらしいから、そっちの展望室なら見えるかもしれないなぁ。でも、この時 朝早かったから霧が出てて、新・五稜郭タワーの展望室部分が、霧に包まれてた。 だから、時間によってはどうかな?タワーの1階では五稜郭に関しての展示が いっぱいあって、なかなか勉強になった。ちなみに、夕張メロン味ソフトクリーム を食べたら、余りにも暑くてダラダラ溶けて、食べるのが大変だった(^^;)
1/250の大きさで再現した模型 五稜郭の説明図 「箱館奉行所と土方歳三」大雪像
模型だと小さいから場所もわかりやすいけど、歩くとこれがなかなか…。 第55回さっぽろ雪まつりで見た♪
(左)土方歳三之像&(右)武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)


■武田斐三郎…緒方洪庵塾に入門、洋学諸術を学ぶ。
ペリー艦隊が浦賀に来航した際は、佐久間象山の門下
にいた。洋式軍学者として製鉄、造船、大砲、築城など
に明るく、箱館開港後は箱館諸術調所の教授として活躍。
その後、幕命により、弁天砲台、五稜郭の設計監督に
あたった。

  五稜郭の顕彰碑とは違って、キリッとしたお顔(^^)
  この方、少し調べてみると、とても凄い人だった!


■五稜郭
朝早くに五稜郭タワーへ行き、その後ここへやって来た。タワーで、 五稜郭を満喫しているものの、どういう所かと散策。でも、平面では 五稜郭の良さがさっぱり(^^;)勿論、五稜郭の構造を知る為には、 見なければわからない。でも、余りにも同じ様な緑の景色ばかりで、 どこを歩いているか分からないし、遺構を示すものが全然無いし…。 五稜郭は、やっぱり上から見るのが一番いいのかもしれないな(^^) そういえば、前日の晩御飯に、近くにあったラーメン屋さんで食べた 「塩ラーメン」が凄く美味しかった!函館と言えば塩ラーメン…という ことで食べたんだけど、こんなに美味しいの〜?ってぐらい美味!!

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