【金ケ崎城】

岩手県 金ケ崎城 いわてけん  かねがさきじょう
■金ケ崎城=見学自由
■諏訪公園・他
駐車場=無し           (2007.9.23現在)
住所=胆沢郡金ケ崎町西根字白糸
※この時は、書き留めるのを、忘れてしまったので、 途中までのアクセスなので参考程度に…。
(東北自動車道 水沢ICが近い)
この時は国道4号を南下し、県道270号へ。 金ヶ崎駅を過ぎて、町役場の標示を過ぎて、 県道108号へ左折。ここからが「?」。 どこで「金ケ崎城跡」の碑を見て、 どの狭い道を通ったんだか…(^^;)

金ケ崎城
館跡は、六原扇状地の東端、北上川を眼下に見下ろす標高52〜54mの 段丘にある。貞享5年(1688)の大町備前定頼書出絵図(添田家所蔵) によると、館は江戸時代仙台藩が設定した要害の1つで、邑主の居館であり、 二の丸、蔵館、東館、観音館から構成されていた。 一方、西根風土記によれば、館は坂上田村麻呂が築き、その後、阿倍貞任の 叔父河堰太夫為行の居城であったが、貞任没後、阿倍頼時の女 「白糸の前」が住み、また源義家も陣を張ったといわれる。 時を経て邑主が入替り、最后には藤沢より南部藩との北辺の地の警護のためとし、 大町定頼が所替となり、以後、伊達藩の奉行職などの要職を経て幕末に 至っている。(金ヶ崎町・金ヶ崎町観光協会の案内板より)
天正19年(1591)、当地方は伊達氏の領するところとなり、 桑折氏(1602-14)、留守氏(1615-29)と治めたが、 寛永21年(1644)に伊達氏一族大町氏が入り、要害と城下町を 整備し、以来、明治まで治世にあたった。(案内板より)
金ケ崎城跡かな?
車で行くのが無謀かと思いつつ(笑)せっせと狭い道を進むと、 バス停に「諏訪公園前」の文字を発見。
ここかな〜?と思って公園へ。その付近には空堀みたいなものもあるし、 金ケ崎城跡でいいのかな?
北上川方面 金ケ崎橋 金ケ崎神社
北上川方面を。なかなか気持ちいいし、赤色の金ケ崎橋もきれい(^^) 一直線に木の影が・・・(^^;)

■金ケ崎城
本丸跡であろう場所に、「金ケ崎城跡」の碑を見つけたんだけど、 車の往来が激しくて、一瞬で通り過ぎ、写真が撮れず(T_T) これが一番大事なのに〜(^^;)城跡方面への 道へ進むも、狭くて大変。しかも、「どこ?」状態。 でも、「諏訪公園前」バス停を発見し、ようやく城跡の手がかりが(^^) 確かに、付近には空堀っぽいものがある。 恐らく、城跡なんだろう〜と、写しておいた。 ちなみに、この辺りは、武家屋敷の保存地区で、 上で紹介した案内板は、それのもの。 1枚くらい建物を写しておけば良かったな〜(^^;)

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