トロとまったり・tripのページ(林之城)

鹿児島県 林之城

かごしまけん はやしのじょう

■林之城(別名=お仮屋、館)=見学自由
■お長屋
■垂水小学校
駐車場=無し
(写真)垂水小学校の校門手前の林之城跡碑(写真左側)とお長屋。

2012/5/1現在

住所=垂水市田神
この時は、国道220号を北上し、市役所前信号を過ぎて、上町信号を右折。 少し進むと、左側に垂水小学校があり、お長屋がある。

林之城

ここ(現・垂水小学校)は、江戸時代に垂水島津家の居城、林之城があった所である。 垂水島津家領主4代久信は林之城を築き、慶長16年(1611)垂水城(荒崎)から家臣団と共に移って来た。 林之城は、築城前は周辺が山林原野であったことから林之城と呼ばれ、のちには館またはお仮屋と呼ばれた。 城は平城で、城を中心に真直な馬場(道路)を通し、周囲には武家屋敷を整備して、麓町が出来た。 現在は、お長屋と石垣が残っており、昔の面影を残している。 また、垂水麓は出水や蒲生等と共に町並みの美しい麓町と言われ、現在でも整然とした道筋や武家門が、 昔の名残をとどめている。(垂水島津家林之城築城四百年記念事業実行委員会の案内板より)
垂水島津家(1万8千石)は、島津氏の一門家として本藩最高の家柄で、初代忠将(日進公二男)に始まり、 2代以久(佐土原へ移る)、3代彰久(朝鮮出陣中病死)、4代久信(相模守)、5代久敏、6代忠紀(家久7男)、 7代久治、8代忠直(綱貴3男)、9代貴儔(吉貴2男、重豪の祖父)、10代貴澄(吉貴5男)、11代貴品(日置家より)、 12代貴柄、13代貴典(讃岐守)、14代貴敦(八百姫の夫)、15台貴徳(垂水小学校長)、16代貴暢と続き、 明治維新まで約260年間このお仮屋を中心に政治が行われてきた。(垂水市教育委員会の案内板より)

お長屋

このお長屋は垂水島津家第4代、島津相模守久信が慶長16年(1611) に築城した林之城(垂水御館)の楼門脇の建物(西側にあった城の一部)である。 もとは南の壁の所々に小さな風窓のみが開いており、そこから東は原田、 西は下宮辺りまで望見でき、危急の用に備えたものと思われる。 数度の火災や戦争にも無事焼け残り、400年の歴史を物語ってくれる貴重な木造建築物である。 維新前、この建物は下級武士の詰め所でもあったといわれている。 明治9年10月頃には、この長屋は「私学校垂水文教場」となり、剣術、漢学等が教授された。 明治以降、垂水小学校の一部として使用され、補習科、垂城学院、農工業化教室、高等科教室などにあてられていた。 現在、市の文化財に指定されており、4世紀にわたる垂水の藩政時代を偲ぶ唯一の資料である。(垂水市教育委員会の案内板より)

林之城 2012.5.1記


お長屋や石垣が見学できて良かった(^^)
ちなみに、見学時間は約5分。

(写真)おまけ。 すぐ近くに、垂水実科高等女学校校舎落成の頃から使用していた旧正門があった。 案内板によると、昭和45年頃までは通用門として使っていたよう…とのこと。

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