トロとまったり・tripのページ(松尾城)

鹿児島県 松尾城

かごしまけん まつおじょう

■松尾城(別名=栗野城)=見学自由
■城山運動公園
駐車場=無料駐車場

2011/5/4現在

住所=姶良郡湧水町木場
この時は、九州自動車道 栗野I.Cを下りて、右のえびの、伊佐方面へ。 突き当たりの栗野橋信号で、国道268号へ右折。 次に、栗野清水信号を右折(案内あり)。 進んでいくと、冠木門の近くまで行くことができる。 (※栗野清水信号を過ぎて(東側の)城跡へ向かう道は、一方通行で入れないので注意。)

松尾城

【左】松尾城本丸 館想定図。【右】本丸にある城址碑。

この山城は、今から約400年くらい前の天正年間(1573〜1592)、島津義弘が飯野城からこの城に移るにあたり、 太田道灌の子孫と言われる太田武篇之介(おおた ぶへのすけ)に改築させたといわれている。 その為、甲州流の城といわれている。山城は、虎口まで細長い急な坂となり、 虎口近くに敵の勢いをそぐ為、道を直角に曲げて桝形を設ける。 石垣は安山岩を少し加工した野面石を積み上げ、 石と石の大きな隙間には多くの込め石が入れられており堅牢そのものである。 石の総数は約500個、高さは最高5m、総延長約52m、総面積約64u、約70度の勾配がある。 ほぼ完全に近い形をとめている山城は全国的にも数少なく、貴重な文化遺産だといわれている。

■南九州唯一の山城跡…特に、虎口の石垣と本丸の屋形土台石の存在は貴重な文化財。 古代、中世を通じて薩隅日、球磨の戦略拠点として重要な砦であり、真幸院領主北原氏がこの城に移った。 戦国末期、島津氏が3州を統一、今から約380年前の天正18年(1590)には、島津義弘が飯野城から移り、 帖佐(ちょうさ)に移るまでの満5ヶ年間居城とした。 なお、その間文禄元年(1592)の朝鮮遠征には、当城から出陣している。(湧水町教育委員会の案内板より・絵図も)

冠木門

【左】冠木門の横に車を置いて。
【真ん中】門には、松尾城大手門の文字が。
【右】車(写真左側)の背後の斜面。高い。

主郭へ
主郭の石垣
虎口付近の土塁

【左】冠木門から少し歩くと主郭の虎口へ。
【真ん中】主郭へ上がる前に、主郭の石垣を。
【右】こちらは、土塁を(^^)

主郭・虎口

【左】主郭虎口への石段。1番最初の写真は、この石段を少し上がった所♪
【真ん中&右】虎口の石垣。素敵!

【左】右折れで主郭へ。この石垣もいいな♪
【真ん中】振り返って。なんだか目が回りそう(笑)
【右】主郭から。

主郭

【左】木だらけの主郭。
【真ん中】石がポツポツと見られたけど、礎石かな?
【右】主郭からの眺め。

義弘公お手植えの木

読んでいると、口にしてみたくなる(^w^)

本丸を取り囲むように植えてある木は今から約400年位前の天正年間(1573〜1592)、 ここの城主であった島津義弘が、本丸の内部が見えないように目隠しの為、植えたと伝えられている。 この木はツツジ科の常緑樹の灌木(低木)で、小さな丸い実がなるところから「しゃしゃんぼ」 (「小小(しょしょ)んぼ」が訛ったもの)、俗称を「ミソッチョ」といい、その実は小鳥等が好んで食べる。(湧水町教育委員会の案内板より)

主郭と二の丸の堀切 // 堀切から主郭の土塁を

【左】左側が主郭、右側が二の丸。
【右】(パノラマっぽく加工)堀切から見ると、どっしりして大きい土塁(^^)

二の丸

【左】主郭との堀切から二の丸の土塁を。二の丸の標柱が立つ。
【真ん中】崩れた斜面。
【右】主郭から見下ろして。

公園

【左】気になるものが3つ並んでる…。それは…。
【真ん中】コアラ!
【右】他にも遊具が沢山(^^)子供ならウキウキ!

松尾城 2011.5.4記

旅行最終日のシメは、軽い所にしようと思って選んだ城跡。でも、虎口、石垣、土塁が素敵だった(^^) 見学時、猛烈にトイレに行きたくて。走っていくほど焦ったけど、近くにトイレがあって、本当に助かった(^^;) さすが公園!ちなみに、見学時間は約15分。

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