トロとまったり・tripのページ(東福寺城)

鹿児島県 東福寺城

かごしまけん とうふくじじょう

■東福寺城=見学自由
■多賀山公園
駐車場=無料駐車場
(写真)島津氏居城 東福寺城跡の碑。

2012/5/1現在

住所=鹿児島市清水町
この時は、鹿児島駅の北側の国道10号を北東へ進み、 春日町信号を過ぎた次の道を右折。川を渡って、 線路を渡り、少し先の斜め左の坂道(案内あり)を上がる。

東福寺城

東郷墓地付近から鳥越トンネルの上までの丘一帯が、東福寺城の跡といわれている。 海側は絶壁で、他方の線路沿い側も急な斜面になっている為、山全体が天然の山城となっている。 この城は、藤原純友から4代目にあたる長谷場永純が、天喜元年(1053)に築いたものである。 また、長谷場氏は、その頃の船着場の辺りに、春日神社を建立したと言われている。 また、三州(日向、大隅、薩摩)としては、初めての城とされている。東福寺城が脚光を浴びたのは、 南北朝時代(1336〜1392)には、この城をめぐって激しい戦いが行われた。 この頃、鹿児島を本拠にしていた長谷場、矢上、中村、上山、谷山の各氏は、南朝軍に加わり、 出水の山門院から鹿児島入りした島津氏は、北朝軍(武家方)に属していた。 両者は激戦を続けたが、暦応4年(1341)、5代島津貞久は、東福寺城にこもる鹿児島郡司矢上氏一族を攻め落としたのである。 貞久とその子・第6代氏久は、およそ40年間にわたり、この東福寺城を根城に、大隅地方にまで勢力を伸ばした。8代島津元久の時代に、清水城に移った。 島津氏が鹿児島に本城を置いたのは、この東福寺城からで、その後、清水城、内城、鶴丸城が築かれ、 城下が南へのびていった様子がこの地から一望できる。(鹿児島市の2枚の案内板より)

遠景
貨物
駐車場

【左】南西側。凄い崖。
【真ん中】結構長い時間、貨物に待たされた(^^;)
【右】広くて安心。写真は、見下ろしたもの。

肝付兼重奮戦の跡

駐車場の所に立つ。

肝付氏は、平安時代末期以降、大隅半島を地盤とした豪族だった。 肝付兼重は、肝付氏第6代兼藤の子で、兄の兼尚が訴訟事件で鎌倉に上って不在であった為、南北朝の動乱が起こると、兼重が肝付一族を率いて南北側に立って戦った。 碑文には、宮崎県の三俣院高城を陥された後、興国元年(1340)8月に、東福寺城に入ると長谷場秀純と共にあり、(島津軍と)8ヶ月にもわたって奮戦した事等が記されている。 兼重の墓は、肝付町の旧盛光寺墓所にある。 戦国時代、肝付氏第16代兼継の頃には、その所領が南大隅から日向の南部一角にも及び、島津氏の脅威となるが、その後振るわなくなり、天正8年(1580)には、島津氏の一家臣となった。 (鹿児島市の案内板より)

聖将之碑、東郷元帥墓と東郷元帥銅像

【左】写真左端の階段を上がると、東郷元帥銅像。左の細長い碑が、聖将之碑。右側が東郷元帥墓。

■東郷墓地と多賀山公園「皇国の興廃 この一戦にあり、各員一層奮励 努力せよ」… 明治38年(1905)旗艦三笠にZ旗が翻り、日本海海戦の火蓋が切って落とされた。東郷平八郎は、連合艦隊司令長官としてこの海戦を指揮。 丁字戦法によって無敵のロシアバルチック艦隊を全滅させた。弘化4年(1847)加治屋町に生まれ、15歳で薩英戦争に参加。 イギリス海軍の力を目の当たりにして、強い海軍を人生の目標とした少年は、イギリス留学を振り出しに海軍の増強につくし、世界の名将といわれるまでになった。 墓所として多賀山が選ばれたのは、この地が鹿児島港に入る艦船から真正面に見える位置にある事と、 東郷を海軍に進ませた薩英戦争の遺跡・砲台跡を真下に見る場所であったからである。 晩年、東宮学問所総裁をつとめた東郷元帥は、昭和9年(1934)88歳で亡くなり、国葬によって多摩墓地(東京)に埋葬された。 多賀山には元帥の遺髪が葬られ、銅像が建てられている。 多賀山は、島津氏が鹿児島郡司矢上氏の一族、長谷場氏を攻め落とし居城とした東福寺城跡の南に当たる山で、山上からは鹿児島市中心部のほぼ全域が望める。 島津家第16代義久が、寿命の神として祀らせた多賀神社(本社・滋賀県)からこの名がついた。(鹿児島市の案内板より)

【左】聖将之碑。
【真ん中&右】結構、高い位置に立つ東郷元帥銅像。ここからの眺めが凄くいい!

東郷元帥銅像の所からの景色

晴れてたら、もっときれいだろうなぁ♪
【左】鹿児島湾方面。 【真ん中】桜島。 【右】船が帰って来た。

もっと望遠で…。
【左】左側が、いおワールドかごしま水族館で、右の細長くカーブした建物が、桜島桟橋フェリーボート待合所。
【真ん中】プリンセスマリン号が出発。
【右】線路もよく見える(^^)

桜花園橋
堀切?
桜の広場へ

【真ん中】橋から見下ろして。堀切かな?
【右】橋を渡って桜の広場へ。東福寺城の説明板も設置されていた(^^)

桜の広場

【左】桜花園橋方面。立派な土塁が見られた♪
【真ん中】左の写真をもう少し手前から。
【右】段になっている所も。

桜の広場から東側

石段を上がって行くと、曲輪跡であろう所が、所々で見ることができた。

【左】神社跡?鬱蒼としていてボケた(^^;)
【真ん中】この辺りでは広い曲輪。
【右】島津氏居城東福寺城跡の碑。

島津氏居城東福寺城跡の碑の下側

【左】島津氏居城東福寺城跡の碑から石段を下りて…。
【真ん中】東屋の向こうに見えるのは桜島。
【右】下から。

祇園之洲公園・高麗橋
岩永三五郎の像の後ろ姿
電車

【左&真ん中】多賀山公園のすぐそば。車内から見えたので急いで撮影。丁度、雨が…。
【右】RED EXPRESS。

東福寺城 2012.5.1記

説明板もあるし、曲輪や土塁、立派な碑も見られ、意外と城跡を味わう事が出来た。 そんな所に?っていう場所にある東郷元帥銅像の所からの眺めも良かった(^^) 見学時間は約20分。

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