トロとまったり・tripのページ(桂浜)

高知県 桂浜

こうちけん かつらはま

■桂浜公園=入園自由
駐車場=桂浜の有料駐車場。
坂本龍馬記念館・国民宿舎・桂浜荘の無料駐車場

2008/5/1現在

住所=高知市浦戸
この時は、浦戸湾右側の県道35号を南下し、県道14号へ右折。浦戸大橋を渡って、案内板に従って桂浜へ。 この時は、左斜めの道の坂本龍馬記念館も行ったので、国民宿舎・桂浜荘と坂本龍馬記念館の駐車場を利用し桂浜へ。

桂浜

龍頭岬から龍王岬をパノラマっぽく加工。残念ながら曇りの桂浜。 でも、人も少なくて、落ち着いていていい感じ♪

坂本龍馬の像

■坂本龍馬の横顔…坂本龍馬は高知の城下町に住む郷士の次男として生まれ(1835)、青年時代江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び、 剣士として知られているが、文久元年(1861)、いちはやく武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加した。 後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し、また、長州(山口県)の桂小五郎(木戸孝允)、 薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて、慶応2年(1866)薩長両藩の同盟協約を成功させ、長州に押し寄せた幕府軍(徳川方)を撃破した。 これを機会に討幕運動が高まったが、龍馬はこの薩長同盟の勢力に土佐藩を加え、これを背景とする王政復古を考え、 土佐藩の参政後藤象二郎を説き、立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した。 山内容堂(15代藩主)は、後藤の提案を受け入れて、慶応3年(1867)10月3日、将軍慶喜に大政奉還を建白した。 将軍も時勢を察し、10月14日に政権返上を朝廷に上奏した。 龍馬はこれを喜び、新政府創立に奔走したが、11月15日、京都河原町近江屋で幕府方の刺客に襲われ、同志、中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。 龍馬は海援隊長。慎太郎は、陸援隊長として土佐藩の遊軍を作り、その活躍が期待されたが、幕末の新旧勢力対立の犠牲となった。 時に、龍馬は33歳、慎太郎は30歳であった。(案内板より)

龍馬の視線の先には…
桂浜への階段
桂浜水族館

龍馬がでかい!というよりは、台座がでかい!昔、来たことがあるのに、階段なんてあったっけ?と思いつつ下りた。

龍王岬
龍宮橋
龍王宮

テクテクと歩いて、龍王岬展望台へ到着。龍宮橋を渡って、 階段を上がると、龍王宮が祀られている(^^)

龍王岬展望台は眺めが良くて、気持ちいい♪
【左】龍頭岬方面。【真ん中】海と松。【右】龍王岬展望台の裏の道。

裏の道から龍王岬展望台
甘い香りの花
坂本龍馬記念館から

龍王岬展望台の裏の道は、結構急だった(^^;) そんな道にいっぱい咲いていた花。甘い香りが漂ってた(^^) その道からも、右の写真のように見えてたけど、 坂本龍馬記念館からの方がきれいに写せたので、載せてみた。

桂浜 2008.5.1記

人が多くならないうちに…と、朝の9時から桂浜へ(^^)まず、坂本龍馬の像から見学。 像というよりも、ド〜ンと高い台座に圧倒される(^^;) 以前、訪れた時、苦労して写した記憶があるんだけど、今回はスンナリ…。あれ?後ろの階段なんてあったっけ? なんて8年前の記憶は全くもって怪しくなっていた(笑)改めて新しい記憶に焼き付けなくては。 坂本龍馬が見つめる海を見ながら、テクテク龍王岬へ。それにしても男連れが多い。多分、ツーリングだろうけど、なんか不思議な感じ…。 それはさておき、展望台からの龍頭岬や、穏やかな海がきれいだった〜(^^) その後、裏側の道で坂本龍馬記念館へ向かったんだけど、この道が案外、きつかった(^^;)でも、甘い香りの花に癒された♪

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