トロとまったり・tripのページ(千葉城)

熊本県 千葉城

くまもとけん ちばじょう

■千葉城=見学自由
■千葉城公園、NHK(宮本武蔵の井戸)
駐車場=無し

2010/5/1現在

住所=熊本市千葉城町2
この時は、熊本城から徒歩で。 県立美術館分館の南側の道からNHK方面へ。

千葉城

この地は、遠く応仁、文明(1467〜1487)の昔、菊池氏の支族出田三郎秀信が、初めて城を築いたところで、 現在の熊本城は、その後慶長12年(1607)加藤清正によって完成されたものである。 細川氏入国後、藩主忠利公の客分として迎えられた宮本武蔵が、この南側に住み、 また明治9年(1867)7月、熊本最初の県立千葉中学校がここに建てられたが、 翌年西南の役の戦火に焼失し、後歩兵第11旅団司令部がおかれ、偕行社に引き継がれた。 なお、放送会館工事中には横穴古墳が発掘され、そこから土師器、須恵器が出るなど熊本県の歴史上由緒あるところとなっている。 (日本放送協会の碑より)

【左】1番上の写真と同じ所で、NHKの下の城址碑。
【右】NHKから熊本城を。

千葉城公園
千葉城橋
武蔵の井戸跡

【左】千葉城橋のすぐ近くにある公園で、原道館跡もある。
【右】NHKの敷地にある宮本武蔵が使ったという井戸。

原道館(げんどうかん)跡

原道館は、幕末の肥後の一大思想家であり、大学者でもある林桜園(はやしおうえん)の家塾である。 桜園は、寛政9年(1797)に下級藩士の家に生まれ、はじめ藩校時習館に入ったが、のちに国学者長瀬真幸の門に入り、神道と国学を学んだ。 特に教育者としての活躍には目を見張るものがあり、天保8年(1837)この地に居を定めてから明治3年(1870)に没するまでの間、 ここで一党一派を問わず1200名余の門弟を教育し、宗教家、政治家、学者、歌人、画家、楽人等、多方面の才能を咲かせた。 その中でも肥後勤王党、敬神党(神風連)の人々に強い影響を与え、幕末肥後の第一等の人傑と称えられている。(熊本市の案内板より)

千葉城 2010.5.1記

あの宮本武蔵が使ったという井戸や、熊本城の遠景が見ることができてよかった(^^)

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