【伊賀上野城】

三重県 伊賀上野城  みえけん  いがうえのじょう
■伊賀上野城(雅名=白鳳城)
■上野公園=入園無料(天守閣等は別料金)
開館時間=9時〜17時(入館は16時45分まで)
登閣料金=大人500円
休館日=年末12月29日〜31日
駐車場=有料駐車場(1回500円)(2006.3.19現在)
住所=伊賀市上野丸之内106番地
この時は、名阪国道 上野東I.Cを下りて、国道422号を北の上野市方面へ。 途中で422号は左折するが、案内看板通りに直進。線路を越えて、 国道25号の交差点を過ぎて、次の信号を左折。 右に有料駐車場。

伊賀上野城 (右下の写真をクリック→拡大)
昔、この高台に平楽とよぶ伽藍があったが、天正9年(1581)織田信長軍下の 侵攻にあって焼失した。世に言う「天正・伊賀の乱」である。 この乱後、大和郡山から移って、伊賀国主となった筒井四郎定次は、 直ちに平楽寺跡に城廓を築き、三層の天守を構え、殿門を整え、 城下町の建設に着手した。しかし、秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち、 豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで、家康は慶長13年(1608)、 定次を失政の理由をもって改易、藤堂和泉守高虎が伊予国から移封されて伊賀国一円と伊勢 国安濃津の他、山城・大和の一部を併せて22万石(のち32万石余) の領主となった。 「津は平城なり。当座の休息所までと思うべし。伊賀は秘蔵の国、 上野は要害の地、根拠とすべし」との家康からの秘命を受け、 筒井故城を西に拡張して本丸をこれに移し、五層の天守を構築した。 当時、戦国武将の中でも築城の名人と 評されていた高虎は、自ら縄張りを指図、目前に迫る豊臣氏討伐戦に 備える為、地山を利用して濠を深くし、30mの高石垣で囲み、 梯郭式の堅固な縄張りとした。 さらに本丸の南に二ノ丸の羅城を郭して東西の大手門を配し、 外濠を隔てて碁目割の地割をもった城下町を設け、領国経済の 策源を図ったその理想は軍事と、経済を兼併する典型的な 近世都市の創出であった。 しかし、竣工直前の慶長17年(1612)9月2日、暴風のため天守閣が倒壊、 そのうち大坂夏の陣で豊臣方が滅亡したのと、いわゆる元和偃武(えんぶ) 以後の武家諸法度によって諸大名の城普請を禁止したので、 この天守閣は再びたてられることがなく明治維新を迎えた。 現在の伊賀上野城(※雅名 白鳳城)は、昭和10年川崎克氏が私財を投じ、 3年の歳月をかけて往時藤堂高虎が築いた基台に木造建築による 模擬復興したもので、伊賀文化産業城と呼んだ。
※雅名=白鳳城…碧緑の上に鳳凰が翼を休める美観に似ているところから。
蛇谷堀(蛇池)
昔この処に薬師の放生池(ほうしょういけ)と呼ぶ大きな沼地があった。 近世のはじめ、伊勢・伊賀22万石余の領主となった藤堂和泉守高虎が 城郭普請をするとき、この沼を利用して東の内堀をつくることになり、 工事に取り掛かったところ、眼はほおずきの如く赤く輝き、長さ二丈に及ぶ 大蛇があらわれた。 里人達の間で「山酸醤(やまさんしょう)」とよばれ、この蛇を見たものは 魅入られて生命を失うと言われていたので、夫役達が集まって殺してしまった。 それよりこの沼を蛇谷とよんだ。伊賀上野崇廣堂の講官服部竹(ちくう)はこの近くに 住んでいたので「蛇谷迂史(うし)」と号したのは有名である。 (上野市の案内板より)
駐車場 駐車場から歩いて… 芭蕉翁記念館
駐車場は無風だったから、余裕で薄着で歩いていたら、 天守閣近くは風は強いわ、雪が降るわで、寒かった(@@;)
模擬天守
どっしりとして、格好いい(^^) それにしても、なぜかこの辺りは風が強い! デジカメを持つ手も震えて大変(^^;)
(左)石段を上がり、緑の縁の門をくぐって天守内へ。 (真ん中)鯱がお出迎え。 (右)天守からの南側の景色。
天守からの景色。左より東、北、西。 天守内は、藤堂家縁の物や藤堂さんが被ったウサ耳兜等、 いろいろ楽しめた♪
高石垣
(左)強風に押されつつ、下を見るのは怖かった〜(^^;)  (右)上からは高すぎて怖かったけど、下からは安心(^^)
日本1といわれるだけあって高い!
※2006.3.19のパンフに書かれた
「…とされている」を見て、素直に
信じた感想ね。ある本にも書かれ
ていたけど、専門家じゃないので
真偽はパス。今後、パンフや本の
内容が変更されたとしても、この
時の感想っていうことで〜(^w^)
内堀付近にいた鴨 内堀付近の敷地 忍者博物館
(左)エサをくれると思ったのか、グァ!と 追いかけられそうになった(^^;) (右)ピンクの忍者姿のお姉さんが見えた。
俳聖殿
松尾芭蕉の生誕300年を記念して 昭和17年(1942)に建てられた。 上層の屋根は、芭蕉の笠、その 下部が顔を、下層の屋根は蓑と衣を 着た姿で、堂は脚部に、廻廊の柱は 杖と脚を表現している。堂内には 芭蕉の等身大伊賀焼の座像が安置 されている。(伊賀市教育委員会の案内板より)
(左)俳聖殿近くの門。
城代役所&筒井故城跡
 (左&右)ここの石垣もいい♪
 でも石垣の状態が良くないのか、
 ロープが張ってあった(^^;)
 (左下)筒井故城跡。広いここが
 本丸で、小高くなった所に三層の
 天守閣があったらしい。藤堂氏の
 頃は、城代役所。
 (下真ん中&右下)天守を(^^)
 ここからの天守は、格好いいな。
上野城跡石碑 元禄3〜12年間の上野城跡古図
上野城跡石碑の横に写っている石碑の裏に、 上野城跡古図がある。目立つ所に書いて貰いたいな〜(^^;)
城内から白鳳門へ出る所(パノラマっぽく)
池から外へ出るところに残っている石垣。 真ん中の写真に写っているのが、上で紹介した石碑。
白鳳門
凄く大きな門!だけど、何も
説明板が無かったな〜(^^;)
西大手門跡
西大手門跡がある付近の道路は、きれいに整備されているし、 立派な石碑も立っていて、比較的わかりやすい。
東大手門跡
東大手門跡の石碑は、バス停&公衆電話の 横にひっそりあるから、 車中からだと見落としやすい。
電車!
忍者バージョン!さすが伊賀だ!しかも2種類。 前面には正面の顔が書かれていて、迫力ある〜(^^)

■伊賀上野城
高石垣は柵が無くて、強風で煽られながら見た!凄く怖かったけど、本当に高くて見ごたえあった! それにしても、3/19なのに雪が降るわ、風が強いわで寒い寒い!!若い兄ちゃん達も縮こまってた。 その兄ちゃん達も「コエ〜!!」と言わせるこの高石垣。下から見てもとても素敵。木が邪魔だけど。 そういえば、近くにいた鴨。エサをくれると勘違いしたのか、グァグァ!と違う所にいた鴨も呼び出し、 どんどん集まってきた。マズイ。とそこを離れたのに、グァ!と追いかけてきたので走って逃げた(^^;) ところで、天守閣内の藤堂さんの兜(津城で高虎さんが被ってるウサ耳みたいなやつ)など見ることが 出来て大満足(^^)町も道路脇に忍者の石像や、忍者の絵の電車など、楽しい町だった(^^)

【 三重のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る