トロとまったり・tripのページ(鍋島陣屋)

長崎県 鍋島陣屋

ながさきけん なべしまじんや

■鍋島陣屋=有料
駐車場=無料駐車場

2010/5/2現在

住所=雲仙市国見町神代
この時は、諫早方面から国見へ、国道251号を東へ進み、神代信号で県道131号へ右折。 線路を渡って、少し先を左折。ちなみに、右側にミラーがあるので、それを目印にするといいかも。 その後、神代城の二の丸と本丸の間の道を通り、左折。 左側に鍋島陣屋(鍋島邸)があって、道なりに進んで右側に駐車場がある。

鍋島陣屋

神代の名は、南北朝期に神代貴益の入城に始まると伝えられている。 神代は島原半島と佐賀を結ぶ海路の要所であり、戦国時代末期には有馬・龍造寺の佐賀領藤津郡をめぐる覇権争いの中で苦悩する神代氏の姿が窺い知れる。 神代貴茂は島原半島に進出した龍造寺に与したが、天正12年(1584)、 島津・有馬連合軍と激突した沖田畷の戦いで龍造寺隆信が討死し、神代貴茂は神代城で防戦した。 周辺が海に囲まれている為、干潮時でも泥土により敵は苦しめられた。 その為に有馬軍は、和を結ぶと称して、田比良城に神代貴茂を誘い出し、 帰途に暗殺。歴史から姿を消す事となった。 その後、一時、神代城には有馬氏の代官が置かれたが、天正15年の豊臣秀吉の九州征伐に際して、 鍋島直茂に論功行賞として神代領3千石が給与され、以後、鍋島領となる。
佐賀に居を構えていた領主鍋島氏は、寛文3年(1663)に跡を継いだ4代嵩就の代に至って居を神代に移したとされ、 旧神代城二の丸膝下の東側に陣屋館を構え、現在の小路地区が整備されたと推測される。(雲仙市教育委員会の案内板より・絵図も)

鍋島陣屋 2010.5.2記

神代城のすぐ近くの陣屋跡。中には入っていないけど、素敵な石垣と門だった(^^) この辺りは小路保存地区で、町並みも素敵。…なのに、1枚も写してない…(^^;)

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