【福島城】

新潟県 福島城 にいがたけん ふくしまじょう
■福島城=古城小学校内。見学自由
駐車場=無し           (2006.7.31現在)
住所=上越市港町2-16-1 古城小学校内
北陸自動車道 上越I.Cを、直江津港側への国道18号を右へ、 途中で直進の国道350号へ進み、港橋を渡ってすぐの港町信号を県道216号へ右折。 1本目の路地を左に入り、真っ直ぐ進んで行くと、小学校が右にある。

福島城
福島城は、慶長5年(1600)、堀秀治は上杉遺民一揆を平定した後、 この地に築城を開始し、その子堀忠俊の時に慶長12年(1607)に完成され、 同19年に廃城となった。 僅か7年間の存在でしかなかったが、室町時代から江戸時代に移る当時の 築城形式をしめす典型的な大城郭である。その間に城主は堀忠俊・ 松平忠輝の2代にわたったが、いずれも一国一城の越後大守であった。 慶長8年、徳川家康が江戸幕府を開いてから、天下の諸侯は 春日山城のような山城の必要がなくなり、堀氏も福島城へ移ったのである。 慶長15年、堀氏が改易となり、徳川家康が我が子、松平忠輝を信州、 川中島から移し75万石の福島城主とした。しかし、忠輝も4年後、福島城を廃し 高田へ新城を築いて移ってしまった。城を移した理由は明らかでないが、 毎年、雨期になれば関川、保倉川が氾濫するからだというまことに 短命な城であった。 城の規模は巨大で本丸・二の丸は堀を巡らし、本丸の土塁には腰巻石を用い、 三の丸の外側は関川・保倉川を利用した平城式の大城郭であった。 (福島城史跡保存会の案内板・城址碑より)
福島城 (写真をクリック→拡大) 城址碑
周りが日本海と川って凄い(笑) この碑壇は、かつての野面積みの石を用いているらしい。
古城小学校(ちょっとパノラマっぽく…)
門から入るとこんな感じで、真ん中の写真のように、 左側にあって見つけやすい(^^)

■福島城
小学校の中って大丈夫かな?って思ったけど、門からすぐ近くだったし、昔の縄張り図 もあって、入りやすかった(^^)大きな石碑の下は、かつての石を用いているらしくて、 少しだけだけど、城の名残を感じさせてくれた。

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