【本与板城】

新潟県 本与板城 にいがたけん もとよいたじょう
■本与板城=見学自由
駐車場=無料駐車場(3〜4台) (2010.7.30現在)
(写真)二の郭と本丸との大空壕。
住所=長岡市与板町本与板
この時は、国道403号を北上し、 稲荷町信号を県道274号へ左折(案内があり)。 県道274号を道なりに進み、 案内に従って左折。その先を案内に従って右折。 また案内板に従って右折して、 1台分の狭い道を進めば、左側に駐車場。

本与板城
本与板城は、建武年間(1334)新田義顕一族の 籠沢(こもりざわ)入道が最初といわれている。 その後、南北朝時代には中条与次郎景宗が居城とし、 室町時代には越後の守護・上杉家重臣の飯沼氏など 居城とした。その後、天文15年頃には、 城主直江大和守実綱(さねつな…後の景綱)の居城となり、 内外政に手腕を発揮した。 (実綱は、長尾為景・晴景・景虎(上杉謙信)の重臣であった。) そして、信綱、兼続と直江家3代にわたり使用され、 兼続は、天正年間に築いた与板城へ移った。 本与板城は、戦国時代の戦闘用として典型的な山城である。 実城は98mの山頂にあり、二の郭、三の郭など 主郭併列式の山城で、それぞれ土塁を巡らし、 深い空壕により区分され、主郭に通ずる橋跡もある。 主郭を中心に帯郭があり、南の郭・西の郭や 前要害の郭など、様々な附属郭が配され、断崖絶壁の 険峻で堅固な箇所が多く、戦闘的な山城である。 大手口・搦手口などは、城下の館や一般武士の住居に 通じている。(左の絵図・長岡市教育委員会より)
遠景 1台分を進み… 駐車場
(左)平べったい。 (真ん中)車1台分の狭い道。写真は、駐車場から振り返って。 (右)3〜4台分。愛車を激写♪
登り口 分岐 実城へ
(左)駐車場から、少し先の左側の登り口へ。 (真ん中)3分程度で分岐。右が万歳閣跡。 (右)正面の実城方面へ。
分岐 南郭 二の郭と本丸方面
(左)直進が三の郭と二の郭、右が本丸、手前が来た道で、 左下が南郭。 (右)南郭から二の郭(左)と本丸(右)。
本丸と二の丸の間の大空壕 奥へ 井戸跡
(左)本丸(右側)と二の郭(左側)の大空壕。 (真ん中&右)本丸の入口を過ぎて、大空壕を北へ進むと、 井戸跡。
本丸(実城)
 (左上)二の郭との大空壕から
    階段を上がって、本丸へ。
 (上真ん中)二の郭を振り返って。
 (右上)本丸。
 (左&右)城址碑。右の城址碑の
    後ろに、土塁が見られた♪
 (左下)東側の堀跡。
 (下真ん中)堀跡から景色…(^^;)
 (右下)本丸南側を下から&幟。
二の郭と三の郭の堀切
(左)右へ。正面は三の郭の土塁。 (真ん中)土塁の間を上がって…。 (右)大きく開けて、二の郭と三の郭の堀切が!
二の郭
(左)三の郭との堀切から、二の郭(写真正面)へ。  (真ん中)二の郭へ。  (右)物凄く草が繁っていた(^^;)
三の郭
(左)二の郭との堀切から、三の郭(写真正面)へ。 (真ん中)結構急で、滑りそうだった!! (右)正面奥に土塁。

■本与板城
数が少ないらしい駐車場が不安だったけど、 とめられて一安心。山城だけど、道が整備されているので、 ラクラク♪草が繁る道も、歩けなくも無かったし。 曲輪内は別だけど(笑) それにしても、堀切が深くて、土塁が高くて素敵だった〜(^w^)

ちなみに、ゆっくり歩いた見学時間は30分弱。

(上)正面の山が本与板城。走る車中からなので、 窓に少し映りこんで、見えづらいけど(^^;)貰ったパンフの遠景と 同じ側も写せてよかった♪
(右)与板橋付近の直江兼続のイラスト入り看板。 これ、本与板城の遠景を写した後、すぐにあったので、 慌てて写した(笑)

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