【長岡城】

新潟県 長岡城 にいがたけん ながおかじょう
■長岡城(別名=八文字構え浮島城、苧引形兜城)
■本丸跡(長岡駅)//二の丸跡(厚生会館)
駐車場=近辺の有料駐車場
■長岡市郷土資料館(悠久山公園内)=300円
開館時間=9時〜17時
駐車場=無料駐車場       (2006.7.31現在)
住所=長岡市城内町//大手通//御山町
関越自動車道 長岡I.C〜国道8号〜県道351号〜長岡駅。 (今回は国道352号へ左折、少し先の左のコインPを利用。) 長岡市郷土資料館は、国道352号を南下〜 県道404号〜途中で直進が県道9号に変わり そのまま進み、直進と斜め右になる両方とも 県道9号の道を、斜め右の悠久山公園と書かれた方へ。 正面の山に資料館が見えてくる。右手のプール、 球場の周りを沿う様に走ると、 右に悠久山公園の駐車場。

長岡城
南北朝時代、信濃川河畔の蔵王の地に城が築かれ、古志長尾氏が居城して この地方を治めた。 元和3年(1617)堀丹後守直竒蔵王堂城主により長岡に築城が始められ、 翌年長岡藩主として入封された牧野駿河守忠成によって完成され、 以来長岡は牧野氏7万4千石の城下町として栄えた。 長岡城は、現在のJR長岡駅付近を本丸とする平城で、 「八文字構え浮島城(はちもんじかまえうきしまじょう)」、 または「苧引形兜城(おびきがたかぶとじょう)」と 呼ばれていた。天守閣はないが、本丸の隅櫓の1つに 「御三階」と呼ばれる建物があり、城のシンボルとして そびえていたものである。しかし、長岡城は戊辰戦争(1868)で 焼失した後、廃城となった。 (案内板より)
長岡駅付近の地図 「元旦年賀登城の図」水島爾保布(にほふ)
現在地(長岡駅)が本丸で、斜め下の長岡城址は二の丸。 ちなみに、右の写真は、長岡駅の地下通路の階段正面にあったもの。 こういうものがあるなんて、通ってよかった〜♪ 長岡藩士が年始のお祝いを藩主に述べるために 登城する様子を描いたもの。中央に御三階(本丸の天守櫓)、右に二の丸櫓、 左に時刻を知らせる御太鼓櫓も描かれている。(案内より)
本丸跡(長岡駅)=長岡市城内町2丁目
長岡駅に本丸跡の石碑があるんだけど、 この日は壁泉の清掃だったらしく、 完了ボードやコーヒーの缶が…(^^;)
二の丸跡(厚生会館)=長岡市大手通1丁目
長岡駅からトコトコ大手通りを歩くと、 すぐ二の丸跡に到着(^^)写真では切れちゃったけど、 2つとも長岡城の石碑。
大手通り 長岡市のナッちゃん 長岡えきまえ七夕フェスタ
本丸から二の丸に延びる大手通りを、 二の丸側から駅に向かって写したもの。 そうは言っても、普通の道(笑) 花火をモチーフにした、長岡市の マスコットキャラクター「ナッちゃん」。 凄〜く可愛いから大小一緒に(^^) 幼稚園や保育園の園児達の作品の 可愛いフラッグが、アーケードに ズラ〜ッと飾られていて、 華やかだった♪
長岡市郷土資料館=長岡市御山町80番地24 (悠久山公園内) (案内図の写真をクリック→拡大)
■長岡城塁の石… 昭和29年(1954)8月20日、本丸跡に当たる長岡駅の地下道掘削工事中に、 地下4mの所から、この城塁の礎石が発見された。

(下)説明板の右の色の変わった石の部分が、本丸跡から出てきた礎石。

■長岡城
長岡城を示すものは石碑しか無いので、悠久山へ三階櫓を 模した物を見に行ったら、駐車場から、歩く歩く(^^;) 余裕で行けるだろうと思っていたのに、朝から汗ダラダラ。 しかも、木陰を選んで歩いていたのに、どんどん日陰が無く なってきて、暑かった〜。到着したら、ベンチの上にテントが 設置してあって、休憩するのに凄くありがたかった。 本物ではないにせよ、格好のいいお城だったし、 本丸跡から出てきた礎石も見ることが出来たし、 暑い中、訪れてよかった…(^^;)

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