トロとまったり・tripのページ(高木城)

佐賀県 高木城

さがけん たかぎじょう

■高木城=見学自由
■高木八幡宮
駐車場=参拝者用駐車場(←スペース)
(写真)高木城址の碑。

2013/6/22現在

住所=佐賀市高木瀬東
この時は、長崎自動車道 佐賀大和I.C側から国道263号を南下し、運輸支局入口信号を左折。 右側のセブンイレブンを過ぎ、少し先の右側に高木八幡宮があり、 高木八幡宮の手前の道を右折、道なりに進むと、参拝者用駐車場(スペース)がある。 城址碑へは、上記のセブンイレブンを過ぎた左側のヤマト薬局高木瀬東店の横の道を徒歩で。

高木城

絵図の高木城跡、高木八幡宮、正法寺の手前辺りが高木城推定範囲らしい。

ここ東高木は、鎮西屈指の豪族として栄えた、高木氏の居城のあった所である。 高木氏は藤原累代の一族で、代々大宰府の役人であった。 のちにこの地方に土着し、勢力を張って付近一帯を支配するようになった。 そのうちの藤原貞永が越前守と号し、平家残党追討のため、 この地方に下向して高木の地に居館を構え、 その長男宗貞の時から、土地の名を取って高木氏と称することになった。 この高木氏の居館は、往昔の諸大名が造営した、天守閣のある城郭でなく、 環濠をめぐらした大きな館、つまり平地城であった。 付近には、城にちなむ地名があちらこちらに残っている。 高木氏は、守り神として文治2年(1186)高木八幡宮を創建し、武威を四方に拡大した。 菩提寺は、ここから少し北の方にある正法寺にあって、現在も高木一族の古びた墓がある。 (高木瀬校区快適環境づくり推進協議会の案内板より・絵図も)

高木八幡宮の北側
鳥居
駐車場

【左】北側に、高木城の説明板がある。
【真ん中】鳥居から高さの案内が下げられていた(^^)
【右】高木八幡宮と橘観音の参拝者駐車場。 駐車場というよりは、駐車スペースかな(^^;)

高木八幡宮

高木八幡宮は高木氏が守護神として創建。
【左】大きな木は、推定450年のムクノキ。 【右】推定450年の楠。

為朝の池

草の茂った所が為朝の池。駐車スペースの付近にあり、説明板も立つ。

高木八幡宮社記によれば鎮西八郎為朝九州下向の折、 神埼郡屋形原より高木八幡宮社前に陣を移しける頃、 五月雨降り続く中、この池に蛙数多く鳴いていた、 為朝「穴姦し鳴くな」と一声を放てば蛙忽に鳴きやんだとあり、 是より古来民族為朝池と呼ぶようになった。 又、八幡社西の方数10mの所に、為朝を祀った為朝廟という社もあったという。 これを無格社合祀令により八幡社に合祀した。 八幡社由緒記に「為朝ノ旗ヲ納メタ所ヲ旗木ノ御塔トテ榎ノ本ニ石ノ印有リ」とある。 現在八幡社神殿の東北の隅に、古びた石祠が残っている。

■鎮西八郎為朝…六孫王源経基の後胤、 八幡太郎義家の孫、源氏の棟梁六条判官為義の八男八郎為朝である。 平安時代末期の武将で、身の丈七尺二寸筋骨逞しく、 十町八人張りの弓を引き、矢は十町は飛ぶと言われた。 当時日本一の弓の名士であった。(案内板より)

城址碑への入口
細道を進み…
水堀

【左】処方箋受付のヤマト薬局高木瀬東店の横。 ここから入れば城址碑はすぐ。
【真ん中】両側に水堀が残る。
【右】真ん中の写真の左側。

城跡
高木城址碑
水堀

【左&真ん中】水堀横のお宅の入口前に城址碑。 左の写真からすぐ近く。
【右】もう少し先の水堀。

城跡&水堀

高木八幡宮から少し進んだ北西付近。 この辺りも城跡の推定範囲らしいので、水堀も名残りかな(^^)
【左】写真を左へ進むと、城址碑への入口。
【真ん中】左の写真の建物前。
【右】真ん中の写真の反対側だったかな?

高木城 2013.6.22記

高木八幡宮の駐車場が心配だったけど、あったので良かった(^^;) 駐車場というよりはスペースなので、先客がいると大変かも…。 高木八幡宮には樹齢450年!の立派な木や高木城の説明板がある♪ 城址碑へは、裏通りを歩いて見つけたけど、車で通った道からだとすぐだった(^^;) それにしても、城址碑がある事を知らなかったら、絶対に来ないような場所!しかも、民家の入口前だし…。 ちなみに、見学時間は約10分(城址碑の見学時間を含めて)。

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