トロとまったり・tripのページ(吉武城)

佐賀県 吉武城

さがけん よしたけじょう

■吉武城=見学自由
■吉武神社
駐車場=駐車スペース

2013/6/20現在

住所=伊万里市二里町
この時は、国道202号を国見台公園側から南西へ進み、厚生年金センター信号を過ぎて、 「久原埠頭204号→」の標識が立つ所の入口から、Uターンのような感じで左折。突き当りが吉武神社。 ちなみに、国道には縁石があるので、反対車線からは入れない。

吉武城

ここは通称、権現さんと呼ばれて親しまれているが、 室町時代に松浦党の一族、吉武佐渡守源修が築いた城跡といわれている。 吉武佐渡守源修は、武勇に優れた武将で、民をかわいがり、産業の開発に尽力したので、 郷土の人々はその徳をしたい、城跡に神社を建てて、産土神としたといわれている。 吉武神社は、広大な社域を持ち、明治14年(1881)には村社に昇格したが、昭和52年(1977)、 国道202号線バイパスの開通によって、権現山域の一部を含む境内の大部分を無くした。 神殿には吉武佐渡守の石造、御神鏡、福島勇七作と伝えられる陶製の狛犬が納められている。 狛犬は一対で奉納されていたものだが、現在は阿形の一体しかない。 福島勇七は、江戸時代後期の天明年間(1781〜1788)頃の鍋島藩窯の細工人である。 大川内山から逃げ出し、伊予(愛媛県)の砥部で製陶をしているところを佐賀藩の役人に捕まり、 鍋島藩窯の秘密の製法を他国に漏らした罪をとわれ、佐賀城外で斬首されたといわれる伝説的な名工である。 他にも境内には、元禄5年(1692)の明神鳥居をはじめ、狛犬や手水鉢など江戸時代の石造物がたくさん残っている。 吉武城跡があったという明らかな証拠はまだ見つかっていないが、 二里町の中世から近世の姿を解明する上で、貴重な遺跡と考えられる。 (伊万里学推進事業ふたさと塾・伊万里市二里公民館の案内板より)

国道からの入口方面
説明板と土塁
土塁

【左】国道202号からの入口から入ると、Uターンみたいな感じで大変。
【真ん中&右】立派な土塁。

吉武城 2013.6.20記

国道202号からの入口から神社への道へ入るのが、あまりにも急過ぎて、 神社側へ曲がれず、素直に入ってから、方向転換して神社へ…(^^;) 苦労したにもかかわらず、雨がひどくて、外に出るだけでビショビショになりそうなので、 説明板付近の土塁を見るだけに…(^^;)それにしても、雨が降ると、 神社の醸し出す独特な空気が増すのが不思議。

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