【加納城】

埼玉県 加納城 さいたまけん かのうじょう
■加納城=見学自由
■公園
駐車場=無し(この時は路駐)  (2011.9.23現在)
住所=桶川市加納
この時は、久喜市から桶川市方面へ県道12号を 南西に進み、東部工業団地入口信号の次の 信号(コンビニの所)を右折。 すぐ1本目の路地を右折して、すぐ左側の路地へ。 奥の民家の中に標柱がある。民家に入る前の道に戻って、 2本目の路地を左折すると、右側に公園がある。

加納城
加納城跡は、桶川市東半部を代表する戦国時代の 城跡である。また、市内で唯一正式な発掘調査が 実施された城跡でもある。城の沿革及び居住者については 不詳であり、加納城存続当時の記録も現在のところ発見 されていない。おそらく、戦国時代に自らの領地を守ろうと すべく、この城を築き、居住した土豪的な武士は、徳川家康が 関東に入府した時には、帰農し郭外に出てしまったものと 思われる。 現在、加納城の遺構は住宅地の造成によってその殆どが消滅し、 内郭土塁と堀の一部を残すのみである。昭和42年の 発掘調査以前は、内郭、外郭に区分される縄張が土塁や堀から はっきりと観察でき、その配置は図のとおりであった。 外郭は、正面梯形をなし、その面積は、42,898uに及び 北、東の二方には堀と土塁が巡り、南側については現在の 市道の下に規模の大きな堀が存在する事が確認されている。 加納城は、当時の小規模な城の多くがそうであったように、 自然の地形を利用しており、北には広い湿地が広がり、東西 両側には入江状の谷が入り込み天然の要害となっている。 遺構の大部分が失われた現在でも、このような地形に 城跡の名残りがとどめられている。 (桶川市教育委員会の案内板より)
 (左)1番上で紹介した標柱がある民家。 (真ん中)公園に説明板がある。 (右)説明板の縄張図。

■加納城
標柱が、民家の敷地にあるのが不思議!門があるので、 ズームで写した(^^;)あとは、公園に行ったら、 見学終了〜。スムーズに見つけられて良かった(^^)

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