トロとまったり・tripのページ(目賀田城)

滋賀県 目賀田城

しがけん めかだじょう

■目賀田城
■目賀田城跡公園=見学自由
駐車場=公民館の無料駐車場

2007/11/23現在

住所=愛知郡愛荘町目加田
この時は、安孫子城跡の後に行ったので、県道220号を北西へ進み、県道13号との東出交差点を過ぎ、 目賀田東を過ぎて、県道220号は左斜めになる所を、城跡公園の案内に従って、真っすぐ入り、 少しして左カーブになる所に公民館があるので駐車。その奥へ歩いて進むと城跡がある。

目賀田城

天正4年(1576)織田信長が安土城を築くにあたり、その当時の目賀田山(今の安土山)を要請されたので、 その代わりに、貞政の所領地である光明寺野(今の目加田)に、新たに目賀田城を構築したものである。
城主・目賀田家42代・目賀田摂津之守貞政(小次郎)
所領・愛知川、中宿、沓掛、佐生、七里等。
禄高・2万石
43代・目賀田摂津之守竪政
44代・摂津之守竪政(次郎左ェ門)
目賀田城は、戦国期、佐々木六角氏の重臣として活躍した目賀田氏が築城したと伝えられる城館。 目賀田氏は、天正10年(1582)の本能寺の変において、明智光秀に加担したことから、豊臣秀吉に知行を没収され、一族は離散したとされる。 当地目加田は、メカタ姓発祥の地であると言われている。目賀田城は県下でも比較的類例の多い単純な方形構造を持つ平地城館である。 現在の目加田集落が目賀田城をその南西部分に取り込むように成立しており、ほぼ一町四方の城館主郭内部においても今日、かなり宅地化が進んでいる。 しかしながら、当城跡において、残存する土塁は比高3mを有し、今回城跡公園として整備を図る地区の遺存状態は良好と言える。 当城館の特徴としては、現在はすでに整地されているが、城館北側の内湾部の存在がある。 これは堀を経て、岩倉川に通じる舟入と考えられており、河川を利用した水運が想定されている。 また、目加田集落の周囲を巡る里道においては、外部から集落に入る道が交差するところで3ヶ所食い違いがあり、 これを虎口の遺構とみると、目加田集落は城館を中心にして、総構えで編成されたとも考えられ、留意すべき点と思われる。(秦荘町教育委員会の案内板より・絵図も)

【左】左にも右にも土塁♪公園化しているけど、こんなにも土塁が残存しているのは嬉しい(^^)
【右】(パノラマっぽく加工)左の写真の右側の土塁の外側。

【左】左上の写真の左側の土塁。
【真ん中】左上の写真の奥側。
【右】城址碑。

目賀田城 2007.11.23記

夕方の5時前に到着したんだけど、ちゃんと写せることが出来てよかった〜(^^;) それにしても、民家の中にこんなに土塁が残っているのは凄い!高さもあるし、嬉しい♪ 公園化しているけど、説明板や石碑もあって、優しい城跡だった〜(^^)見学中に、近所のワンコがウルサイのなんの。 でも、ちぎれんばかりに、ブンブン尻尾を振っていたから、「こっちに来て遊んで〜!」って言っていたのかも(^m^)

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