トロとまったり・tripのページ(三隅城)

島根県 三隅城

しまねけん みすみじょう

■三隅城(別名=高城)=見学自由
■高城山
駐車場=駐車スペース

2014/8/30現在

住所=浜田市三隅町三隅
この時は、県道304号を西へ進み (位置は大まかに国道9号、県道48号の東側の県道304号)、高城山入口や龍雲寺の案内板に従って左斜めへ。 突き当りが城跡入口。

三隅城

案内板をクリック→拡大。

当、高城山(たかじょうざん)は三隅氏の居城で三隅城があった処である。 寛喜元年(1229)益田氏の始祖兼高の次男兼信が所領の三隅の地を与えられて移り住み、三隅兼信と名乗り初代三隅氏の始祖となる。 弘安4年(1281)鎌倉幕府は元軍の襲来を受け、西日本海沿岸一帯に防御の砦を築かせる。 三隅氏もここ高城山(標高362m)において築城に着手し、3代信盛・4代兼連(かねつら)により本城と出城完成。 ここに中世の石見で代表する要害堅固な名城三隅城が誕生し脚光を浴びる。 当時、三隅氏は益田氏を凌ぐ勢力を持ち、三隅兼連は石見の守護職も務めた。 南北朝時代三隅氏は後醍醐天皇の南朝方、益田氏は北朝方となり、石見の南北の戦いが三隅城を拠点に始まり、南朝方の旗頭として名武将三隅兼連の名が天下に知れ渡る。 正平5年(1350)7月、足利尊氏の配下高師泰(こうのもろやす)が2万3千の大軍を率いて三隅城に攻め入るが、三隅城は難攻不落で落とす事が出来ずそのうち幕府の命により撤退した。 そして時代が移り、元亀元年(1570)城主三隅隆繁の時、毛利軍との激戦の末に破れ落城する。 ここに初代兼信から340年間続いた石見を代表する名門三隅氏は滅亡した。(三隅公民館・三隅地区生涯学習地域推進委員会/制作(株)フタバの案内板より)

案内板から突き当りへ

【左】道中の高城山の入口の案内板に従う。
【真ん中】突き当りのスペースに駐車。
【右】来た道を。

登山口から上って…

【左】登山口。
【真ん中】意外とキツい…。
【右】山頂手前の曲輪への入口。写真は曲輪側から。

山頂手前の曲輪

【左】左側の斜面を上がると山頂。
【真ん中】曲輪から入口方面。
【右】山頂から見下ろして。

山頂へ

【左】曲輪から山頂へ…。
【真ん中】字の薄〜い城址碑。
【右】城址碑周りに、大きな石が転がる。

山頂

【左&真ん中】山頂の曲輪は細長く、花壇が造られ、向日葵が咲いていた(^^)
【右】先端。

山頂からの景色

【パノラマっぽく加工】写真左寄りの海に浮かぶのが高島、写真右側の高い山が水来山。

【左&真ん中】多くの城跡の遠景。
【右】奥の鉄塔の山が大麻山、手前が水来山(水来城跡)。

三隅城 2014.8.30記

到着時、夏の日の夕方とはいえ、うら寂しさに不安を感じ、置いていく車が心配になった(^^;) とはいえ、ほんの少しだけキツい斜面を上がればすぐ曲輪。 山頂の細長い曲輪とその下側くらいしか分からなかったけど、案内板や花壇等設置してあって、地元の方の愛を感じる城跡だった(^^) 出来るなら、城址碑も読めるようになるといいな…。見学時間は、景色を眺めたりと約12分。
(写真)遠景だと思うんだけどなぁ…(^^;)

▲上へ戻る