【深沢城】

静岡県 深沢城 しずおかけん ふかざわじょう
■深沢城=見学自由
駐車場=無し(城祉碑の側に1台位のスペース有)
※田畑の侵入に注意。     (2005.3.20現在)
住所=御殿場市深沢
この時は、足柄城跡を見学後だったので、県道78号を走り、 セイコーやNBS等の工場を過ぎて、蓮花寺を過ぎて少し開けた交差点を過ぎ、 少しすると右側に「城入口」のバス停がある。そっちへ斜め右に、かなり入りにくかったが、入っていく。 そのまま直進していくと、大きい深沢城祉碑が建っている。 ちなみに、東名高速道路 御殿場I.Cを下りて国道138号〜県道78号〜バス停「城入口」を左の ルートからの方が、わかりやすいし、左に入りやすい。

深沢城
今から約480年程前の戦国時代に、駿河の今川氏が築城したと伝えられている。 その後、小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成(つなしげ) が守備していたが、元亀元年(1570)11月、甲斐の武田信玄が包囲し、 金山衆等を使って攻めたてた。
翌元亀2年1月3日、信玄は深沢城に有名な 矢文を送って開城を迫り、ついに綱成は藤沢の玉縄城に退き、 その後は武田氏が支配した。 北条氏は奪回を試みたが失敗し、深沢城は武田氏の所有となり 武田氏の重臣の一人駒井右京之進が城主として居城した。
天正10年(1582)武田氏没落に際し、右京之進は城を焼いて退去した。 やがて天正12年(1584)、徳川家康が織田信雄(のぶかつ)に加勢して、 小牧山で豊臣秀吉と戦った際に、北条の押さえとして三宅惣左衛門を おいたが、それを最後として廃城となった。
城跡は、抜川と馬伏川に挟まれた自然の台地を利用した二鶴様式で 築かれ、また、武田式城郭といわれる三日月堀や土塁等が残り、 戦国時代の城跡として全国でも重要な存在である。 (御殿場市教育委員会の案内板より)
解説板の裏の三日月堀 馬出しの左側にあった堀? 馬出し
ええっ?と言うくらいわかんない(^^;) 関係あるのか無いのか堀なのか…。 こちらはいい感じで広さを感じる。
馬出しの右側にあった堀? 三の丸 下馬溜
馬出しをクルッと堀が沿ってる感じ。 若干の民家と広い田んぼ。 きちんと畑になっている。
二鶴様式の堀跡 二の丸
草が凄くて。 田んぼなんだけど、本当に広いなぁ〜。農家の人も大変だ(^^;)
二の丸の食料庫跡 二の丸と本丸の間の堀
この場所がなかなかわからなくて。 とにかく藪になってて堀っぽくない(笑) 唯一きれいなのが、田んぼだし(^^;)
二の丸から本丸の間の土橋 本丸の馬出し 袖郭の案内棒
本丸側から二の丸側を。少し高い。 本丸近くにあった馬出し。今は畑。 下は馬伏川かな。整備された川。
袖郭はどの辺り? 城櫓
この辺りだったんでしょう(^^;) 袖櫓より少し右側にあった。端っこすぎて、あぜ道を歩くのが大変。
本丸(二の丸からすぐ) 本丸(城櫓の右側) 本丸(道を挟んで右側)
本丸からは一番上の写真のように富士山が見る事が出来るのだ♪やっぱり富士山はどこから見てもいいな〜。

■深澤城
簡単な道なのに、なぜか迷ってしまった(笑)近道をしようと思ったのが間違いだった…。 着いたらど〜んと城祉碑が迎えてくれ、おおっと思わせるくらいの迫力ある城祉碑だった。 堀は藪、他は田んぼや畑なんだけど、親切にもちゃんと案内棒や説明板があったりした。 散策中、この田んぼの持ち主の家族であろう人達が、抜川?の近くで何かをしていた。 一瞬、こちらを見たけど無関心っぽかった。それだけ城跡見学者が多いのかもしれない。 というわけで、田んぼ散策(笑)を続け、富士山を見て、城跡を堪能した。しかし、袖櫓や 城櫓を見に行くのに、あぜ道って案外歩きにくいな〜って、フラフラしながら歩いた。でも、 小さい頃はこんな所を平気でトコトコ歩いていたのにな〜とか昔を懐かしんでみたりして。 ちなみに、三の丸の田んぼの端っこに(確か三の丸)、小さく…霊と書かれた石があった。 どういう物なのかはわかんないけど、誤って蹴らないように足元に注意した方がいいかも。

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