【掛川城】

静岡県 掛川城 しずおかけん かけがわじょう
■掛川城天守閣
入場料金=大人 300円
開館時間=9時〜17時(2/1〜10/31)※入館は16時30分まで。
      =9時〜16時30分(11/1〜1/31)※入館は16時まで。
休日=年末年始(12月30日から翌年1月1日まで)
駐車場=大手門駐車場(有料)(6時半〜21時半)
駐車料金=駐車時から5時間までは30分ごとに100円
        5時間以降24時間までは1000円 (2003.9.14現在)
住所=掛川市掛川1138-24
東名高速掛川I.Cを下りると、掛川城の看板が出ている。 踏切を越え標識に従ってまっすぐ進み、左折すると大手門駐車場 がある。

掛川城の歴史 (案内板の写真をクリック→拡大)
掛川城は、戦国時代の文明年間(1469〜86)、駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、重臣朝比奈泰熈(やすひろ)に築かせた。
桶狭間の戦(1560)で今川義元が織田信長によって倒されると、永禄11年(1568)義元の子氏真(うじざね)武田氏に駿河を追われ、掛川城に立て籠もった。 翌年、徳川家康は、掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、和睦により開城させた。
家康領有後、重臣石川家成が入城し、甲斐からの武田氏侵攻を防御の拠点となった。
天正18年(1590)全国平定を達成した豊臣秀吉は、徳川家康を関東に移すと、家康旧領地には秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入った。 一豊は多くの戦乱により傷んだ城の改築や城下の整備を行うとともに、この時初めて天守閣を作った。
江戸時代には、徳川親藩の松平氏や江戸城を築いた太田道灌の子孫太田氏等11家26代の居城として栄え、明治維新迄続いた。
■天守丸への登城路
何度も折り曲げた狭い階段は、敵の侵入に備え登りにくくなっている。 復元された階段や側溝のうちゆるやかな曲線を描く玉石側溝は、 調査で見つかった江戸時代後期のものを生かしている。
■軒唐破風と火燈窓…破風とは、軒の三角形部分をさし、天守閣に 用いられているものは、神社建築に起源を持ち、鎌倉時代以降に 禅宗寺院の建築に用いられた窓の型式。
■天守閣… 白漆喰塗り籠めの真っ白な外容は、京都聚楽第の建物を、 黒塗の廻縁・高欄は大阪城天守閣に倣ったと見られる。 (案内板より)
掛川城主要部模型 掛川城御殿 掛川城天守閣
この模型は、正保元年(1644)幕府が諸大名に 命じて提出させた城絵図と発掘調査結果を 基本資料として、150分の1の縮尺で製作された。 塩櫓・銭櫓のあった腰曲輪や、内堀の松尾池・乾掘は、 削り取られたり、埋め立てられたりして現在目にすることは出来ないが、 これらの曲輪や堀を含めた正保年間(1644〜1647)頃の最盛期の 掛川城の主要部が示されている。模型の素材は、 風雨、日光などの屋外での自然条件下でも 耐久性が高い有田製磁器が用いられている。 (案内板より) 御殿は、儀式・公式対面等の藩の公的式典の場、藩政の中心となる諸役所と、城主の公邸が連結した 建物。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの室が連なり、 各室は襖により仕切られている。文久元年(1861)に再建、 現存する城郭内の御殿としては、京都二条城等全国でも数ヶ所。明治2年(1869)の廃城後は学校、 市庁舎等に転用されたが、昭和47年(1972)から昭和50年の3年間に亘り 保存修理され、国の重要文化財に指定(昭和55年(1980)1月26日) (案内板より) 天正19年(1591)から慶長元年(1596)、山内一豊によって掛川城に 初めて天守閣が造られた。嘉永7年(1854)の大地震で倒壊、 幕末の混乱の中取り壊された。平成5年(1993)、城絵図や古記録を元に木造により 復元、140年ぶりに再建。天守閣は、外観三層、内部四階から 成る。六間×五間(約12m×10m)の天守閣本体は、決して大きな物ではないが、 東西に張り出し部、入口に付け櫓を設け、外観を大きく 複雑に見せている。(案内板より)
四足門 天守下門跡 十露盤掘
調査では、門の跡は見つからなかったが、 正保城絵図を元に復元された。門の内側には、 入城者を調べる番所があった。 本丸に通じる重要な門。 (案内板より) 天守閣へ入る為の二層の櫓門があった。 調査では、櫓をのせていた基壇 の石垣が見つかった。 (案内板より) 本丸を囲む重要な堀。十露盤堀という名称の由来 ははっきりしないが、水がたまった部分が そろばんの箱のように見える事が、 その由来と考えられる。 (案内板より)
石落し 狭間 しゃちほこ
1階の床の一部を石垣の上に張り出させて、 敵が攻めてきた時に床板を開け、そこから石を落としたりて 攻撃する為のもの。 (案内板より) 城郭内の建物や塀に設けられ、内側から鉄砲や弓矢で 敵を攻撃する為の穴で、掛川城天守閣では一階に 9ヶ所、二階に14ヶ所ある。 (案内板より) 掛川城天守閣では、袋井市油山寺の山門(掛川城玄関下御門を移築) の鯱を参考に、高知城天守閣の鯱にならって青銅で作られた。 (案内板より)
大手門&番所(奥) 掛川城公園石碑
駐車場から歩いてこの門をくぐる。 道路際にある石碑。右は、2007.2.11に 撮影したライトアップされたもの。
遠くから 太鼓櫓&大手門 大手門番所
駐車場から、↑の大手門&番所をくぐって、歩いていくと、
この写真のように掛川城がよく見える♪ この日は、雲一つない日だったから、青空に良く映えて格好いい〜(^^)
太鼓櫓=やや右真ん中の細長い屋根。
大手門 大手門番所=真ん中の櫓みたいなもの。
車を駐車した大手門駐車場はその後ろの白いビル。
右の道が、旧東海道。 真ん中の川が逆川。 グランドは県立掛川西高校。
ライトアップ(2007.2.11撮影)
遠くからもきれいだけど、近くから見るともっときれい(^^) ライトアップされて存在感タップリだった〜♪
油山寺山門(掛川城移築門)(重文)
屋根瓦と漆喰のコントラストが美しい。 油山寺に保管されている棟札に、 「掛川城御玄関前大手二之門」とある。 太い柱や一枚板の扉も 豪壮で、江戸時代の城門の姿をよく 残している。 (万治2年(1659)井伊直好の創建。) (静岡県教育委員会・袋井市教育委員会の案内板より)  (2009.3.21撮影)
掛川城移築門
(左&真ん中)龍雲寺の門。 ネットで見ると、どこの門かは定かでは無いらしい。 案内板も無いしなぁ…。
(右)菊川駅付近の商店街の店先にいたカバ。 他の動物やカメがあったけど、 写せたのがカバ(^^;) (2009.3.20撮影)

■掛川城…2007.2.11記
夜、バイパスを走っていると、掛川城のライトアップが見えたので、「これはっ!」 と寄ってみた。久しぶりに見ると、大きくて、きれい〜!!こんなだったっけ?と、 思いつつ、ライトアップ写真をいっぱい撮った(^^)本当に見に来てよかった〜♪
■掛川城…2003.9.14記
木造なので凄く木のいい香りがする。日本で初めて木造天守閣を復元だとか! でも、中の階段が急で歩きづらい。外は外で大変だし(笑)近所のお菓子処の
煎茶アイスが美味しかった〜!9月とはいえ暑くてアイスがトロトロ溶けてきて、 食べるのが大変だったけど(笑)他にも、いっぱいお茶関係のお菓子があって、
気になった〜!

※ちなみに、山内一豊が高知へ移った時は掛川城を、復元時では高知城をもとに建て られた。

【 静岡のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る