【御茶屋御殿】

千葉県 御茶屋御殿 ちばけん おちゃやごてん
■御茶屋御殿跡=見学自由
駐車場=整備されていないが、駐車可能。
                   (2007.1.20現在)
住所=千葉市若葉区御殿町2549番地
この時は、国道126号を稲毛区から若葉区へ(東金方面へ)走り、 大草信号で左の県道53号へ。少しして、千城台南4信号で右の県道53号へ。 そのまま走って、御殿入口交差点を右折。少しして左側に、 御茶屋御殿跡の入口がある。入口を示す標柱が小さいので、 見落とさないよう注意。

御茶屋御殿跡
徳川家康が東金への鷹狩りのために休息所として造営したものである。 このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、 お狩場である東金には「東金御殿」が設営されたが、寛文年間(1661〜72)に 取り払われて、その跡地も現在大きく改変されている。 この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられるが、跡地は良く 旧態をとめている。 御殿跡は一辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀の空掘と高さ約2.5mの 土塁をめぐらし、南北2ヶ所に出入口があって、その内側に桝形土塁が 構築されていた。内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる 基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他、17世紀半ばの 陶器などの遺物も発見されている。(千葉市教育委員会の案内板より)
■御成街道…
御成街道は、船橋御殿から東金御殿までの10里15町(約37km)、道幅3間(約5.5m)の ほぼ一直線の道路で、慶長18年(1613)徳川家康が東金への鷹狩を第一の目的に、 佐倉藩主 土井利勝に命じて造らせたものである。 家康の命令を受けた利勝は、沿線96ヶ村の名主を召集して村ごとに工事区間を 分担させて昼夜兼行で造ったので別名「一夜街道」とか「提灯街道」と 呼ばれている。街道沿線には、大宮神社から船橋方向へ約500mのところに、 直線工事を見通すために造った提灯塚や、ここから東金方向へ約300mの 左側の奥まった所に金光院という正応2年(1289)に創建したと伝える 薬師如来を本尊とする真言宗豊山派の名刹があり、家康が東金への 鷹狩の際に立ち寄ったと伝えられている。金光院から東金方向へ 更に約700m行った所を、左に入ると将軍家の宿泊所兼休息所に 使用した御茶屋御殿跡がある。(千葉市教育委員会の案内板より)
御茶屋御殿跡入口 南側の土橋&虎口 南側土橋から右の土塁&空堀
左の写真の棒が目印。小さいから見落としそうでしょ(^^;) その奥へ進むと、御殿跡。ボコボコした道だった〜。
南側土橋から左の土塁&空堀 御殿跡 南側の虎口を内側から
しっかりした土塁に空堀が巡ってて、いい感じ(^^)真ん中の写真の 御殿跡に見える切れ目は、北側の虎口。
北側の虎口 北側の虎口から土塁を 北側の虎口から土橋
南側から何も無い御殿跡を突っ切って、北側へ。 こちらにも、土橋と空堀が。その奥は雑木林が広がってた。
北側の土橋から虎口 北側の土橋からの(南を向いて)空堀(真ん中=右側&右=左側)
1番上で使った写真が、この北側の土橋から 見た虎口のもの。結構、気に入ったから1番目に(笑)
御成公園(提灯塚)
アクセス//国道126号を稲毛区から若葉区へ(東金方面へ)走り、 大草信号で左の県道53号へ。少しして、千城台南4信号で右の県道53号へ。 そのまま走っていき、右カーブになる金親町信号を左折。御成街道へ。 ずっと進んでいくと、左側に提灯塚ある。
金親町信号から御成公園の間で、左側に御成街道の説明板があった。
金光院・山門(伝・御茶屋御殿の裏門)
アクセス//国道126号を稲毛区から若葉区へ(東金方面へ)走り、 大草信号で左の県道53号へ。少しして、千城台南4信号で右の県道53号へ。 そのまま走っていき、右カーブになる金親町信号を過ぎてすぐ(!)左の道へ。
←示すものは無いけど、家康が立ち寄ったと、 「御成街道」の説明板にあるから本当なのかも?
宝泉寺・山門(伝・御茶屋御殿の表門)
アクセス//国道126号を稲毛区から若葉区へ(東金方面へ)走り、 大草信号で左の県道53号へ。少しして、千城台南4信号で右の県道53号へ。 そのまま走っていき、県道66号との交差点を過ぎて、 ずっと走っていくと、右に宝泉寺の看板があるので、 そこを右折し道なりに進む。
←こちらも、示すものがない…。

■御茶屋御殿跡
空堀と土塁がきれいに巡っていた(^^)御殿跡には、井戸がポツンとあるだけで、 他は何も無いけど、他の御殿跡は姿が無いという事だから、見れて良かった(^^)

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