トロとまったり・tripのページ(日和佐城)

徳島県 日和佐城

とくしまけん ひわさじょう

■日和佐城
駐車場=無料駐車場

2008/4/30現在

住所=海部郡美波町
この時は、日和佐うみがめ博物館 カレッタを見た後だったので、県道25号を西へ進み、 県道25号は右折になる道があって、そこを直進し、(この辺りから案内板が結構出るので、分かりやすい。) その先の橋を左折。橋を渡ってすぐ右折し、少しして左折。上がって行くと日和佐城。

日和佐城

■城山神社 由来記…当地は、平安時代に「和射郷」の中心となり、鎌倉・室町時代にわたり「日和佐庄」と呼び、 安土・桃山時代(天正初期1570年代)に、この地の豪族日和佐の後裔、日和佐肥前守が、長宗我部勢の侵攻を防ぐため、標高60mのこの地に城を築いたとされている。 天正10年頃、長宗我部勢の侵攻により落城し、主将の和佐泉守一族は、軍門に下ったが、住民はこの地を城山と呼び、また日和佐城址として親しんできた。 当時は、東西が40間、南北が22間あり、石垣も処々、昔を偲ばせるものがあったが、今は新日和佐城となっている。城主肥前守が、村人のためにとこの地に権現様を安置した。 当時、参拝者は船で川を渡っていたが、ある時船頭が渡船を断ったところ、にわかに腹痛を起こし、苦悶に耐えかねて権現様に祈ると、たちどころに痛みが快復した。 それ以後、船頭は断る者無しと伝わる。 また、村に悪疫が流行の際には、祈祷すれば治まり、安産や母乳を祈願すれば授かり、爾来服痛・豊漁はもとより、近時入学や就職試験合格の祈願など、神助の奇跡の顕現に驚いている。 参拝する者が、年とともに増えるため、新日和佐城の築城とともに、遷宮をなしたものである。「願いごと1つにきめて拝むれば城山神は我を救わん」(古老天声の案内板より)

【左】日和佐城の遠景。こんもりした所にヒョッコリ。反対側もいい感じだった。
【真ん中】雰囲気のある道。駐車場からすぐの道。
【右】徳島岩吉翁の像。駐車場で。

日和佐城 2008.4.30記

ヒョッコリと見える姿がとてもいい(^^)近くで見ると、凄くでっかい!写真を写すにも苦労するほど(^^;) ちなみに、平成20年4月から、運営会社が変わったらしく、当面改修工事のために休館なんだとか…。 とりあえず、そばまで行けて、良かった(^^)

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