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【橋杭岩】  【くしもと大橋】

和歌山県 橋杭岩  わかやまけん はしぐいいわ
■橋杭岩=見学自由
■全長850mの大小40余りの奇岩
駐車場=無料駐車場        (2009.7.31現在)
住所=東牟婁郡串本町橋杭
三重県側からの場合、国道42号線をず〜っと走り、 古座町を走り、古座駅を通り過ぎて少しすると、左側に橋杭岩がある。 ちょうど、カーブを過ぎた辺りの左に駐車場がある。 スピードが出やすいので、注意しながら走る。(2004.8.2のアクセス)

橋杭岩の伝説
昔、弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡る為、 天邪鬼に手伝わせて橋を掛け始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴き声を 真似たので、大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれている。 (案内板より)
 (パノラマっぽく加工) 1枚目=2009.7.31撮影。夕方5時半。夕日に照らされて♪  2枚目=2004.8.2撮影。お昼頃。
橋杭岩の成り立ち
今から1,500万年程前(新生代第三紀中新生の中頃)、熊野層群と呼ばれる砂や泥の厚い地層が 海底に堆積した。橋杭岩の周りの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層の泥岩から出来ている。この地層が堆積した頃、 大島から潮岬付近の海底は火成岩の隆起帯になっていた。 その後、1,400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動が起こった。 この活動に伴って、北北西−南南東の方向にのびる地層の割れ目に沿ってマグマが上昇して冷え固まり、 橋杭岩のもとになる、直立した厚い板状の岩脈が出来た。この岩脈は、石英斑岩という火成岩から出来ている。 やがて、すっかり陸地となった紀南の海岸は、荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈は まわりの泥岩よりはるかに固い為に浸食されても残り、あたかも大島に向かって橋脚を並べたように、 今もそそり立っている。(和歌山県の案内板より)

■橋杭岩…2009.7.31記
前回は雲が多くて、暗い感じの写真だったので、 明るい橋杭岩が撮りたくて再訪。 すると、車が多い!ラッキーにも、出る車がいたから とめられたけど、結構人気あるんだなぁ(^^;) 到着したのは夕方の5時半。太陽が雲に隠れていたから、やっぱり暗い。 でも!雲間から夕日が出てきてくれて、橋杭岩を照らしてくれた! おかげで素敵な写真が撮れた(^^)
■橋杭岩…2004.8.2記
もうちょっとで、駐車場を通り過ぎる所だった…。カーブを抜けて、すぐは無いでしょ〜(^^;) 近くまで行くと凄い迫力!!しかも写真に入りきらないよう〜。長すぎ、大きすぎっ(@o@) この岩たちにもちゃんと名前があって、見ていると楽しい(^^)ゴロゴロ島やはさみ岩とか。 伝説を信じて弘法大師と天邪鬼が作ったと思えば、不思議だけど面白く思えてしまう(笑) そうそう、道路を挟んだお店で昼食を食べたけど、2階だったから橋杭岩がよく見えた〜♪

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和歌山県 くしもと大橋  わかやまけん くしもとおおはし
■くしもと大橋=通行無料    (2009.7.31現在)
住所=東牟婁郡串本町大島〜出雲
三重からの国道42号を串本町へ、潮岬東入口交差点を潮岬周遊線41号に入り 約2km走って、左にくしもと大橋。渡り切って、左側にポケットパークが ある。反対側に展望台があるが、車がスピードを出して走るので、注意。 ループ状の写真はこちら側より、くしもと大橋へ入る道を左折せずに、41号を 少し通り過ぎた辺りからの海沿いから写すとよく見える。駐車するのに 反対側に山の湧き水?の辺りにスペースがあった。この時はここで、この辺りの住民が洗車をしていた。 (2004.8.2のアクセス)

串本大橋
■串本節
一、ここは串本 向いは大島
     仲を取りもつ 巡航船
       アラヨイショ ヨイショ
         ヨイショ ヨイショ ヨイショ
一、潮の岬に 灯台あれど
     恋の闇路は  照らしゃせぬ
一、一つ二つと 橋杭立てて
         心とどけよ 串本へ

平成11年9月に開通した、潮岬東側沿岸と紀伊大島を結ぶ連絡橋。 290mのアーチ橋と、苗我島に架かる386mのループ橋からなる。 大島は、民謡「串本節」で知られている。
(上2枚=2009.7.31撮影)久しぶりに橋杭岩に訪れたら、 遠くにくしもと大橋が♪折角なので、20倍ズームで撮影♪
(下3枚=2004.8.2撮影)左下=ポケットパークの記念碑。 眺めが良くて、とっても気持ちが良かった〜(*^^*)
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