【上山城】

山形県 上山城 やまがたけん かみのやまじょう
■別名=月岡城
■上山城(郷土歴史資料館)、月岡公園
入場料金=大人400円
開館時間=9時〜16時45分
休館日=年末12/29〜31、7月第1月曜〜金曜
駐車場=無料(何ヶ所もあり)  (2006.7.29現在)
住所=上山市元城内3-7
国道13号を通って上山バイパスに入らず、 上山温泉方面へ進み、県道458号の上山市街を左へ。 上山城の看板通り真っ直ぐ進み、上山市街へ右へ行き、 ひたすら真っ直ぐに進み、上山城の案内板を左折。 付近に、「かかしの火の見櫓」があるので、 そっちへ行くと良い。そこを進むと坂道で、 途中に駐車場があるが、もう少し坂を上ると、 左側に広めの駐車場。

いろいろな角度からの模擬天守(地図の左横は2003.5.2のもの)
角度によって、いろいろな上山城を堪能出来る(^^) それにしても、左右、同じ日とは思えないくらい、空が凄い!
上山城
上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に、 羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、 上山殿と称し虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は 高楯城または亀ヶ岡城とも言われていた。 永正11年(1514)には、伊達稙宗(たねむね)に攻略され、 翌年和睦し返還、5年後に再び攻略されたが、 天文4年(1535)満長の子孫の武衛義忠が挙兵して奪還した。 同年高楯城を廃して、新たにここ天神森に平山城を 築き、上山城(別名=月岡城)と称したと伝えられる。 戦国時代の上山は最上氏の被領下にあったと見られ、 置賜地方を領する伊達氏や、下っては上杉氏との領界にある 境目の城として、防衛の最前線の基地となっていた。 城主は武衛氏三代、里見氏、元和8年 (1622)最上家改易後、能見松平氏、蒲生氏等を経て、 土岐氏二代が領した17世紀の後期には、 城郭として最も整備され、白壁の城壁を巡らし、 内外に二重の堀を巡らし、本丸には居館、三階櫓、角櫓がそびえ、 その下段に二の丸、北の丸を備え、東には枡形を伴った大手門を 構えた壮麗な姿が堀の水面に映えたという。そして、 後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、 小藩(2万5千石)ながら奥羽の名城と称されていたと 伝えられている。 しかし、元禄5年(1692)土岐氏が転封直後、 幕府の命により跡形も無く破壊。 以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(3万石) 10代の治領下で170余年間、代々城の再建が宿題であったが、 明治維新まで一部を修復するに止まり、再築される事は無かった。 周囲の堀にも、明治5年に埋め立てられ、 城の西側に僅かに内堀の名残を留めている。 現在の上山城は、昭和57年に旧二の丸跡に城郭風の 郷土資料館として建設したものである。 (案内板より)
三島坂を上って… 駐車場 月岡神社(本丸)
対向車とすれ違うのが大変(^^;) ここが1番広い駐車場。トイレもあり♪ 沢庵桜や土岐桜、鐘楼がある。
本丸の土塁 復元鐘楼(本丸) 本丸からの土塁
月岡神社(本丸)と模擬天守(二の丸)の間の土塁はなかなか素敵(^^) 1番右の写真は、本丸から見た土塁。
城址碑…? 天守の裏の石垣
月岡神社の入口の石碑を前から見ると「月岡神社」の文字。 でも、その裏は「月岡城址」!難易度が高すぎる(笑)
展望台からの景色(2003.5.2)
下の緑の場所は月岡公園 一番遠くの白い山が蔵王連山
(左)街並みと(右)月岡神社の向こう側にある駐車場方面。いい感じでパノラマっぽく写った(^^)
沢庵桜
江戸幕府の厳しい宗教統制から起こった紫衣(しえ)事件で、 これに強く抗議した京都大徳寺の長老沢庵禅師(57歳)が、 寛永6年(1629)上山に配流された。
当時の藩主土岐頼行公(22歳)は、松山に春雨庵を新築して迎え手厚く待遇し、 禅師の教導を仰ぎ、上山藩政史上格別の治績をあげ、 上山城をも整備し、西山の緑を背景にした美観は、小規模 ながらも奥羽の名城と称えられていた。 本丸北の堀端の上には、見事な桜の古木があり、 沢庵禅師もこの桜花を眺めて、配流の身を慰められたといわれ、多くの 領民は「沢庵桜」と愛称していた。
元禄4年(1691)に、頼行公の跡を継いだ頼殷港が1万石 加増で大阪城代に栄進し、翌5年に転封となった後、 上山は幕府領となって上山城は破壊され、沢庵桜も切り倒される事になった時、 幕府の代官は由緒ある桜樹を惜しんで、切らずに残そうとしたが、 幕命に背けず根元から3メートル余の幹と枝を残して切り取らせた。 そのときの代官の歌に、
  ・そよ風もいとひしものを桜木二  斧打つ音をきくそかなしき    小野浅之丞
  ・手折りしもいとひしものを今とても  根をたへねとハいかておもハん 永田作太夫
後任の金森氏が5年間在任の後、同10年松平信通公が着封、 その家臣中山四郎右衛門は荒廃した上山城跡に 一際美しく咲いている沢庵桜を眺め、両代官の残した歌に感動し、 一首の歌を詠んでいる。
  ・斧の音くたく言の葉なかりせハ  月岡山の花をやハ見し
沢庵桜はその後も上山城の春を飾ったが、30年後に 惜しくも枯れ果ててしまったという。しかし、その根元からは蘖(ひこばえ)が成木しており、 西紀2千年を記念して有志相はかり、その成木から苗木を 育て、上山城跡をはじめ禅師縁りの地などに 植樹して、沢庵禅師の遺徳を偲び、温情と勇断をもって 愛護した先人の心情を称え、構成に語り伝えようとするものである。 平成13年3月22日
(沢庵桜植樹実行委員会 会長 佐竹穂太郎氏の案内板よ)

■上山城(2回目)…2006.7.29記
2度目の訪問は、着くなり雨。これぐらいなら…と散策中どしゃ降りに!仕方ないから、 トイレの前で一時雨宿り(^^;)折角早く到着したのに〜なんて、ぼやいてみたりして。 幸い通り雨で、散策を開始♪今回の目的は、いろいろ見て回る事。こうやって歩いて みると、いい感じで土塁があったり、鐘楼があったり(^^)違う角度で写せたし満足!
■上山城(1回目)…2003.5.2記
城内はとてもきれいで、明るく、見やすかった。
雛人形展(※4月〜5月あたり)はギョッとするほどリアルで、数も多くてびっくり! 目が釘付け状態で、自分が雛人形に見られているみたいな気分になった(^^;)

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