トロとまったり・tripのページ(壇ノ浦古戦場)

山口県 壇ノ浦古戦場

やまぐちけん だんのうらこせんじょう

■壇ノ浦古戦場=見学自由
■みもすそ川公園
駐車場=無し(※反対側の関門トンネル人道入口
横の無料駐車場を利用。)

2008/8/14現在

住所=下関市みもすそ川町1番
この時は、国道9号を、赤間神宮方面から北上し、関門橋をくぐって、 左側の関門トンネル人道入口横の無料駐車場にとめて、横断歩道を渡って公園へ。

壇ノ浦古戦場

【左】安徳天皇縁起絵図・第7巻(壇ノ浦合戦)
長門の国壇之浦の舟いくさが全面に描かれている。 源氏をあざむく為の大きな唐船には、帝は御乗りにならず多くの兵士がまちかまえている。(壇ノ浦古戦場址の碑より)

■日本史の節目を刻む関門海峡… 西へ東へと1日に4回、その流れの向きをかえる関門海峡。 狭い所では、両岸の幅は700mあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット(時速18km)にもなる。 また、瀬戸内海の入口に位置する地理的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっている。 寿永4年(1185)3月24日、平知盛を大将にした平家と、源義経が率いる源氏が、この壇ノ浦を舞台に合戦をした。 当初は、平家が優勢だったが、潮の流れが西向きに変わり始めると、源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められた。 最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水。 知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していった。 なお、この戦いにおいて義経は、平教経(のりつね)の攻撃を、船から船へと飛び移ってかわし、 いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれている。(下関市の案内板より)

【右】安徳天皇縁起絵図・第8巻(安徳天皇御入水)
寿永4年3月24日、源氏平家の最期の戦が画かれ、画面中央が安徳天皇御座舟、能登守教経に追われて、 逃げる義経の八艘飛び、建礼門院の入水等々こまやかに画かれている。(壇ノ浦古戦場址の碑より)

碑と関門橋
源義経像
平知盛像

【左】壇ノ浦古戦場址の碑と関門橋♪
【真ん中】平教経(のりつね)の攻撃を、船から船へ飛び移ってかわす源義経の「八艘飛び」。
【右】イカリを担いで海に身を投じる平知盛の「碇潜(いかりかづき)」。

壇ノ浦古戦場記 2008.8.14記

源義経(八艘飛び)と平知盛(碇潜)っていうところが凄い! 下には(1番上の写真の像の下)、大河ドラマ「義経」の役者の手形が置かれてたり。 ここは、壇ノ浦砲台跡でもあるので、長州砲(レプリカ)も置かれてて、 煙も出てた!昔は、何にも無くて、車中から見るくらいだったんだけどなぁ〜(^^)変わりっぷりに、驚きだ(笑)
※平成16年10月(長州砲)、12月(像)に、設置。
ちなみに、福岡県北九州市の和布刈公園(1番上の写真の関門橋左)の第二展望台には、 大きな「壇之浦合戦壁画」があって、見ごたえがある(≧▽≦)
(別ページで紹介)→  和布刈公園

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