トロとまったり・tripのページ(角島灯台)

山口県 角島灯台

やまぐちけん つのしまとうだい

■角島灯台公園=見学自由
■角島灯台(入館)=150円
開館時間=9時〜15時
駐車場=有料(夏期だから?いつもかは不明。)

2005/8/14現在

住所=下関市豊北町角島2343-2
中国自動車道美祢IC〜国道435号に出て豊北町方面へ走り、国道191号との特牛交差点を右折、そのまま進んで行き、 途中左に、ホテル西長門リゾートホテルの入口への道が大きくて、間違いそうになるが、そこを通り過ぎて少しすると、 角島大橋が左にあるので、左折。橋を渡って、角島の中をどんどん進み、右折する。(確か、小さい看板があったはず)

角島灯台

■施設の概要(周知板より)
位置       北緯34度20分57秒
          東経130度50分36秒
塗色及び構造  円形 みかげ石造り
光り方      一等 閃白光 毎5秒に1閃光
光の強さ     140万カンデラ
光の届く距離  18.5海里(約34km)
高さ        地上〜頂部29.6m/水面〜灯火44.7m

角島灯台は、政府が招請したイギリス人技術者R・H・ブラントンの設計により建設された、 総御影石造り、灯高26mの美しい第一等灯台で、堅固な作りであるが細部にまで行き届いた造作が見られる。 工事は明治6年8月に着工、イギリス人技師の監督の下に進められ、 オスロー、バウエルス、デイックと三代にわたり、明治8年末完成、翌9年3月1日に点灯した。 初代灯台長となったデイックは、温厚なイギリス人紳士で灯台の完成後3年間角島に留まり、 日本人職員の技術指導に当たったと言われる。 本灯台に使用されている一等八面のフレネル・レンズは現存する輸入品唯一の品で、 灯塔ともに文化財的に貴重なものである。昭和41年事務所が萩に移転し、灯台は見回り管理となっている。

いろいろな角度から

みかげ石造りで、渋い雰囲気。でも、出っ張り部分のライトで、ぐる〜っと1周出来ないから不便だった。
【右】真ん中の小さい建物が料金所。その右が展望ギャラリー。2階展望台からも灯台が見る事が出来る。

灯台からの景色

キャンプや海水浴で、ごった返す駐車場。角島大橋が開通した時は、こうじゃなかったのに…。整備が凄い。

角島灯台記念館(旧吏員退息所)

灯台の設計者であるイギリス人技師R・H・ブラントンの設計により、 明治8年12月に灯台本体とともに完成し、灯台職員の宿舎として使用されていた。 当時としては、珍しい洋風建築で、木柱の並ぶ吹放しのヴェランダを設け、 室内は中廊下式で四室に分かれ、突出した部分には台所、浴室等が設けられている。 また、各部屋にはマントルピース(暖炉)が設置され、異国情緒を漂わせている。 構造は、赤煉瓦造の壁体の上に木造の小屋組を置いて、桟瓦葺としており、 特に、煉瓦の積み方(イギリス積み…最初に長手方向が見えるように積み、 次の段には小口が出るようにして、交互に積み上がる工法)に、その特徴がある。 永い間、国の所有であったが、昭和62年に豊北町が払い下げを受け、 平成4年度から整備を進め、建設当時の姿に修復したものである。(豊北町の案内板より)

日時計

このモニュメントは、角島灯台の日時計を形取ったもの。 かつて、全国の灯台職員は、夜毎に灯台の灯を点す(ともす)仕事だけでなく、数時間ごとに気象を観測する業務を担っていた。 そのために、このような日時計で、性格に時間を知る必要があった。 日本の気象観測は、お雇い外国人灯台建築技師、R・H・ブラントンの指導で、1871年(明治4)6月、全国11ヶ所の灯台で一斉に始められた。 その5年後の1876年(明治9)3月に初点灯した角島灯台も、同じように、気象観測業務の一端を担った。 最初は、午前9時と午後9時の2回ほど、天気と気圧と風向を測って、月末に横浜の灯台寮に送っていたが、 その後、1882年(明治15)6月からは、中央気象台の求めに応じて、午前0時、3時、6時、9時、午後0時、3時、6時、9時の8回に観測回数を増やし、 1887年(明治20)6月からは、午前2時、6時、10時、午後2時、6時、10時の6回に観測回数を改めている。 現在も、角島灯台と記念館の間には、当時の日時計が残っている。 文字盤と針は、イギリスのロンドンで造られたもので、御影石の台上に取り付けられている。 このモニュメントは、その日時計の上部を約10倍の大きさにして、全国各地の島や岬で正確な仕事をし続けた灯台職員を偲ぶ象徴として、 ここに設置したものである。(豊北町の案内板より)

灯船(木製遊具) // 駐車場から続々と…

【左】灯船(木製遊具)。
【右】海水浴の車や人であふれかえった状態。

灯船とは、灯台の建設が困難な箇所に定着し、船上に灯火を掲げて航路を示したもの。 ブラントンが指導した本牧灯船(横浜)をモデルとして、木製遊具に作り変えたもの。(案内板より)

H12年11月3日に角島大橋が開通、その約1週間後に撮影

この頃は、灯台と海を見るくらいで、目玉が無かったので、賑わっている今が凄く不思議なくらい。 道は狭く、駐車場も未整備で今とは大違い…。でも、夕日と灯台が素敵だった。

角島大橋

【真ん中】右に見えるのが鳩島。結構、大きくて気になる(笑) そういえば、角島大橋入口付近の駐車場も多かったな〜。
【右】H12年11月3日に開通、その約1週間後に撮影。 開通後は凄く渋滞で、ビックリしたなぁ。

角島灯台 2005.8.14記

2回目の角島。暑かった…。こんなに暑いんだって思うほど…(^^;) それにしても、5年経つと活性化するもんだ〜。ビックリした(@@) そうそう、灯台の上の展望台で、ある高所恐怖症のお父さんが、上ってきた。ブルブル震えて、顔は真っ青。 今、病院から出てきたと言ってもおかしくない形相。奥さんは「少しくらい景色を見たら?とってもきれいよ?」と勧めている。 が、お父さんは全く動けない。おかげで出入口が混雑。そこまでダメなら上らなきゃいいのに…。
(写真)H12年の若かりし頃のトロ。今より少し、太っている感じ(笑)

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