【荒子城】

愛知県 荒子城 あいちけん あらこじょう
■荒子城=見学自由
■冨士大権現・天満天神宮
駐車場=無し(この時は路駐)  (2011.7.30現在)
住所=名古屋市中川区荒子4丁目
この時は、荒子駅方面から県道29号を西へ進み、 高畑信号で左折して南下。荒子観音西信号を過ぎて、 次の信号を左折。1本目を左折、2本目を右折、 公園を過ぎて、左側に天満天神宮がある。

荒子城
天文年間(1532〜55)前田利昌の築城と 伝えられている。その子利久、同じく
利家、利家の子利長が、相継いで居城した。 天正3年(1575)利家が越前国
府中(福井県越前市)に、同9年に利長も 同地に移るにおよび廃城となったと
されている。規模は狭い平地に簡単な 柵と堀を巡らし、敵を見張るため屋根の
上に櫓を設けただけの砦程度のものだった。 城内には、冨士権現社と天満宮
が祀られ、今に残されている。 「尾陽雑記」「古城志」などによると、この城は
東西約68m、南北約50mあり、一重堀を巡らして いたとある。利家が府中に
移るとき、荒子観音寺の本堂を再建し、 荒子七カ村(屋敷)には、祭に使用
する絢爛豪華な馬道具(ばどん)を残していった。 (名古屋市教育委員会の案内板より) (左)利家初陣の図。
冨士大権現・天満天神宮 前田利家御誕生之遺址 荒子城の幟
荒子駅・前田利家公初陣之像
加賀百万石の藩祖、前田利家は天文6年(1537)(天文7年説あり)、 利昌の四男としてこの地に生まれた(前田城説あり)。 幼名は犬千代。15歳の時、織田信長に仕え、元服して孫四郎利家 と名乗り、信長の尾張統一戦のひとつ海津(萱津)の戦で初陣を飾った。 22歳の時、10歳下の「まつ」と結婚。この頃、又左衛門利家と 名を改めている。若い頃は奇抜な振舞いを好み、バサラ者でもあったが、 武勇に優れ「槍の又左」と呼ばれた。桶狭間の戦いの後、 美濃攻めの頃から勇士のみに許された赤母衣(あかほろ)衆の 筆頭として従軍、33歳の時、信長の命により荒子城主になった。 利家39歳の時、越前府中10万石を佐々成政、不破光治とともに 治め、やがて能都一国を領有する。その後は、豊臣秀吉を 補佐する大々名に出世、後の加賀百万石の礎を築き上げた。 (冨士大権現・天満天神宮にある名古屋市中川区前田利家発進隊の案内板より)   荒子駅のロータリーにある像(^^)

■荒子城
荒子駅のロータリーの前田利家公初陣之像は素敵! お昼前の境内は、木漏れ日がいい感じだった♪ 立派な前田利家御誕生之遺址の碑も見られて、満足、満足(^^)

【 愛知のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る