愛知県 楽田城 |
■楽田城=見学自由 ■楽田小学校横 駐車場=無し (2007.10.7現在) |
住所=犬山市字城山 (この時は、犬山城を見た後だったので) 県道27号を南下し、国道41号との交差点を過ぎて、 少し走って若宮交差点で、県道177号へ左折。 線路を渡ってすぐの、楽田小学校の看板がある細道へ右折。 (この時、踏み切りの一旦停止の車で、道が見えなくなるかも…) 道なりに進んで行くと、小学校が見えてきて、校門横に 城址碑と説明板がある。 |
楽田城 | ||
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楽田城は、織田久長により永正年間(1504〜1521)に、
築城されたと伝えられている。
戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、
楽田城が急襲を受けた永禄元年(1558)の様子が書かれている。
この時、城中に高さ二間余の壇を築き、その上に五間七間の
矢倉を作り、中央に矢を立て並べた八畳敷きの二階座敷を
設けたとある。天守は館の上に設けた望楼から始まったと
され、楽田城がその起源といわれている。 天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦時には、 小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされたが、 合戦終結の講和条件により取り壊しとなった。 楽田小学校の敷地は、楽田城のあった所である。 昭和54年に学校敷地が拡大されるまでは、土壇や堀の痕跡が あったが、現在は当時の面影を残すものはない。 (犬山市教育委員会の案内板より) |
■楽田城
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