愛知県 羽黒城 |
■羽黒城=見学自由 ■興禅寺 駐車場=興禅寺 (2007.10.7現在) |
住所=犬山市羽黒字城屋敷 (この時は、犬山城を見た後だったので) 県道27号を南下し、国道41号との交差点を過ぎて、 少し走って羽黒交差点で、県道192号へ右折(狭いので注意)。 塀で囲まれた興禅寺の手前の道を右折。興禅寺の横に駐車場があって、 そこから斜め右(東北かな?)の集合住宅と家の間の砂利道を歩いて行くと、 竹やぶの城址碑に辿り着く。 |
羽黒城 | ||
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羽黒城は、建仁元年(1201)梶原景親(梶原景時の孫)によって 築城されたといわれる。 景時は、頼朝に信望のあった御家人で、侍所の別当として、 権勢を誇っていたが、頼朝が死ぬとしばらくして滅された。 一部の遺族達は、景時の孫、豊丸(後の景親)をかこんで 豊丸の乳母隅の方ゆかりの羽黒の地に逃れ、代々住み着いた。 景親17代の末孫梶原茂助景義は、織田信長に仕え、 羽黒村3千石の領主となったが、天正10年(1582)本能寺の変で 信長に殉じ、梶原家は絶えた。 天正12年(1584)小牧山合戦の時、秀吉はこの城を修復させ、 堀尾茂助(金助の父)や、母方の法秀院が梶原家の出生と 伝えられる山内猪右衛門(一豊)等に守らせたが、 焼けてのち廃城となった。 現在地は、羽黒城の中核的な部分があったと考えられ、 前方後円墳である羽黒城古墳の前方部を利用したものと 推定される。なお、この古墳は古墳時代後期のものと 思われる。 (犬山市教育委員会の案内板より) | ||
羽黒城遠景 | 竹やぶの入口 | 竹やぶ |
興禅寺付近から見た羽黒城跡。 | 竹やぶに入るとすぐ石碑。 | とにかく凄い竹やぶ。 |
■羽黒城
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