愛知県 市場城 |
■市場城(別名=大草城)=見学自由 駐車場=無料駐車場 (2007.10.6現在) |
住所=豊田市市場町 この時は、中央自動車道 瑞浪ICを下りて、まっすぐの国道19号方面へ。 少しして、国道19号へ左折。市原交差点で、県道20号へ右折。 そのまま走って、右斜めに国道363号へ。すぐ国道419号へ左へ。 そのまま進んで、左の県道354号を過ぎて少しして、小原町前田の信号の 手前の路地を左へ。(本城小学校入口の看板があった。) そのままずっと進んで、狭くなったりして不安になるけど、 どんどん進んで行くと、右側に案内板のある駐車場に 到着する。城址入口へは、道路を挟んで左側にある。 |
市場跡(大草城) | ||
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市場城は、昔は小原谷大草城といい、標高380mの山頂にある室町時代の山城である。 旧記によると、室町時代が始まる応永年間(1394〜1482)は、 足助重春の一族が、小原谷市場古城に居城しており、 長禄3年(1459)には、鱸(鈴木)紀伊守藤五郎親信が、足助の鈴木小次郎忠親から、 小原谷を与えられ領有していた。その後、文亀2年(1502)に今の市場城を築き、 第二代 肥後守長重、第三代 伊賀守直重、第四代 越中守重愛(しげよし) までの88年間、市場城は鱸氏四代の居城であった。 現在見られる城の遺構は、四代城主重愛が串原、広瀬の城を 攻めて大功をたて、天正11年(1583)家康から所領の加増を 受けた時に、改修したものといわれている。 重愛は、天正18年(1590)、なんらかの理由で改易となり、 市場城を出城させられ、文禄元年(1592)に廃城となった。 (小原村教育委員会・小原村文化財保護委員会の案内板より) | ||
市場城の入口 | 空堀 | 櫓の石垣 |
道路を挟んで右側に駐車場、 左側に市場城の入口があった。それにしても、 ちょっとした坂なんだけど、結構足にくるのは、 疲れからかな…(^^;) | 市場城主の供養塔を過ぎていくと、空堀。 進行方向から見ると、道としか思えなかったから、 振り向いたものを。 | 石垣の上には、櫓があったといわれ、自然の石を 利用した野面積みで、更に折りをつけ守りは厳重である。 中世の山城は県下には多く残っているが、石垣を築いた ものは数少なく貴重。(案内より) |
櫓の石垣の折れ | 二の丸 | 下に帯曲輪が… |
櫓の石垣に、折れもあるんだなぁ〜なんて感心しつつ、草だらけの二の丸、 そして下には段のある帯曲輪が(^^) | ||
本丸の石垣(ちょっとパノラマっぽく…) | ||
結構、残っているなぁ〜♪と、嬉しくなって パノラマっぽく、写してみた(^^) | ||
本丸(入って左側&右側) | 市場城址碑 | |
本丸までは、草があっても蚊は寄ってこなかったのに、次の帯曲輪になると、 しつこく寄ってきて困った(^^;) | ||
帯曲輪 | 竪堀群 | |
市場城は、北東から南西にかけて堀や急な斜面などで 守られた城館の掘削地である曲輪によって守られている。 南西から曲輪の形状は馬蹄形を思わせ、その内側には、 3段に曲輪が帯状になった帯曲輪が築かれている。 (案内板より・絵図も) | この竪堀群は、攻め手の行動を制限し、防御力を高める ものである。愛知県下で現在唯一の確認例である。 (案内より) | |
枡形門跡 | ||
この枡形門は、尾根の堀切に後に石垣を築造して、 枡形に造り替えたもので、形は二度折れて次の 広場へ進むという守るに都合よい構造であり、 近世城郭における枡形の原形と考えられる。 (案内より) (右)振り返って。いい感じで残る♪ | ||
虎口? | さんざ畑 | 城址を見上げる |
さんざ畑側から枡形門方面。 | 家老尾形三左衛門の屋敷が あったといわれている。 (案内より) | さんざ畑から駐車場へ戻る途中、見上げたもの。 なかなか高さがある(^^) |
■市場城
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