【前田城】

愛知県 前田城 あいちけん まえだじょう
■前田城=見学自由
■前田速念寺
駐車場=無料駐車場       (2011.7.30現在)
住所=名古屋市中川区前田西町1丁目
この時は、国道1号の一色新町三丁目信号を北上し、 助光信号で県道29号へ右折。 県道29号の助光信号の次の信号を左折、 1本目を右折、次に左折、 北上すると前田速念寺、右側に駐車場。 ※助光信号の次の信号を過ぎた道を左折して、 北上の方が素直かも。県道には、中央分離帯があるので注意。

前田城
■前田速念寺の由来… 速念寺は、加賀百万石の太守前田利家公寄進になる 阿弥陀如来を本尊としている。 ここはもと海東郡前田村といい、前田城があり、 前田氏発祥の地である。利家公も前田で生まれ、 幼少にして前田城の出城、新設の荒子城に移って 成長したとするのが寺伝である。前田氏は菅原道真公を 祖と仰ぎ、梅鉢の紋を用いる。前田氏は織田信長に属し、 西に蟹江城、東に荒子城、南に一色城、等を支配し、 前田城はその中心であった。 前田城は、天正12年長久手の合戦の後、秀吉方についたため、 家康方の攻撃を受け落城、城主与十郎は蟹江で討死、その子 長種は北陸に逃れて利家に仕え、1万石(のち2万石)を得た。 利家の長女幸(こう)を妻とした。 利家の叔父前だ利則は、出家して意休と号し、浄土真宗 速念寺初代となり、速念寺は前田氏の鎮魂の寺となった。 境内には、前田家古墳や最後の城主与十郎の墓がある。 また明治に建立された利家公の記念碑や、中部石川県人会の シンボル碑がある。(前田 速念寺の案内板より)
駐車場 山門 前田城址
(左)広いので安心。 (真ん中)山門は、鐘楼にもなっていた。 (右)山門にも、前田城址・加賀前田氏発祥の地の字が。
城址碑 前田古城跡碑 兜型の本堂
(左)可愛らしい城址碑。 (真ん中)ひっそりと立っていた。 (右)本堂が兜の形!!ど〜んと存在感ある(^w^)

■前田城
本堂が兜の形!!最初、気付かなかったけど、 駐車場からチラッと見えて気付いた(^^)

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