愛知県 宮後城 |
■宮後城、蜂須賀家屋敷跡=見学自由 ■宮後八幡社(江南市宮後町八幡)=見学せず… 駐車場=無し (2007.10.7現在) ←「蜂須賀家政公生誕之地」石碑 |
住所=江南市宮後町上河原 この時は、犬山市から江南市方面への県道64号を進み、 県道179号との江守町南信号を過ぎ、 江守西信号から宮後信号の間にあったんだけど、 左側に、「宮後城跡」の標柱が立っていて、 道路を挟んで右側の民家の壁際に、「蜂須賀家政公生誕之地」の石碑 があるけど、道路を挟むと街路樹が邪魔で、見落としやすいので注意。 |
蜂須賀家屋敷跡(宮後城跡) | ||
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宮後八幡社の境内を含め東西60間・南北80間(1間は約1.8m)という
広大な屋敷であった。この屋敷は旧宮後城で、土岐氏が美濃・尾張を
領有していた応永(1394〜1398)の頃、尾張を治める要地として、
安井氏が守っていた城であった。
天文年間の後半、蜂須賀小六は母が安井氏の娘であったので、
故あって母の在所に住むことになり、木曽川の川並を支配した。
尾張国地名考に宮後村は「この村に蜂須賀小六の屋敷跡あり」
と記し、昭和43年頃までは「小六屋敷」といわれ、外堀・
古井戸も残っていたが、都市化の波に抗いしきれずその跡もない。
今は県道江南・犬山線沿いに「蜂須賀家政公生誕地」という石碑が
残っているのみである。
蜂須賀氏のほかに、戦国時代の武将浅野長政は、安井弥兵衛の
長子としてここで生まれているという。
後に、叔父の浅野又右衛門の養子となり、ねね(秀吉の室)の
妹ややを妻とした。(武功夜話・張州府志より)
(江南市観光協会の案内板より)
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■宮後城
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