愛知県 村木砦 |
■村木砦=見学自由 ■八剱神社 駐車場=境内に。 (2011.7.29現在) |
住所=知多郡東浦町森岡取手 場所は、尾張森岡駅の北西の八剱神社。 この時は、国道366号を北上し、森岡駅西信号を過ぎて、 左カーブを過ぎて右折(道っぽく感じないかも?)。 次に、左折(凄く狭いけど、行く事が可能。)、 Y字を右折。八剱神社の境内に駐車した。 ※本当に狭いので、注意。 |
村木砦 | ||
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■天王山(村木神社)…織田信長の陣屋 ■後廻間…織田孫三郎信光の陣屋 ■飯喰場…織田軍が戦勝の祝宴を行った場所 ■首塚…戦死者を葬った塚 ■処刑場跡…今川方についた村役人が処刑された場所 ■臨江寺…三州苅谷(刈谷)と村木村(森岡)の海上交通の番所 ■八剱神社…戦死者の霊を慰めた神社 天文20年(1551)強敵織田信秀の死を好機に、 今川義元は尾張への進攻を図った。やがて鳴海城・ 大高城・沓掛城を手中に収め、続いて、織田に属する緒川城の 水野信元を攻略しようとした。重原城を根拠地として 資材を送り、村木の岬に砦を築き、三河の精鋭 東条松平甚太郎義春を城将とした。 信元から援軍の依頼を受けた織田信長は、天文23年1月21日 兵を率いて那古野城(今の名古屋城)を出発した。 22日は強風の中を熱田港から渡海し、23日緒川城に 到着した。24日朝から織田・水野の連合軍が村木砦の 攻撃を開始した。両軍共によく戦ったが、夕方になって 今川軍は遂に降伏した。村の西方にある首塚は両軍の 戦死者を葬った所である。八剱神社は、元亀2年(1571) 信元の家臣清水八右衛門家重・同権之助政晴が戦死者鎮魂を 願って創建した。(東浦町教育委員会の案内板より) |
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説明板 | 線路 | 城址碑 |
(左)上の説明板の囲まれた部分。 (真ん中)砦跡は線路で分断されている。 (右)この横の神社の由緒碑にも説明が。 | ||
■村木砦
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