愛知県 長久手城 |
■長久手城=見学自由 駐車場=無し(この時は路駐) (2011.7.31現在) |
住所=愛知郡長久手町城屋敷 この時は、県道60号を東へ進み、 杁ケ池公園信号で直進の県道6号へ。 東桶狭間信号を左折して、北上し、 長久手交番東信号手前の路地を右折。2本目の路地を右折。 右側に公園。道路が広いので、路駐。 |
長久手城 | ||
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長久手城は、中世末期、長久手村を領有した加藤太郎
右衛門忠景(1543〜84)の居城である。
忠景は、16世紀の中頃、前領主斎藤氏の古城を
修築して入城し、その後、近隣の地侍らと親交を深め、
姻戚を結んだ。天正12年(1584)小牧・長久手の戦いの時には、
家康に従った義弟岩崎城主丹羽氏次の留守を預かって奮戦したが、
池田隊の多勢に破れ、城兵230余名もろともに戦死した。
城は後に民家になり、荒れ果てたが、文化6年(1809)忠景
子孫の尾張藩士が当地を訪れ、宅跡の観音堂脇に石標を立て、
供養した。 幅3〜6m、深さ1.7m〜7.5mの堀割を挟んで、台形の平面を持つ 東城と長方形の西城が並立する連郭構造であったことが分かっている。 (長久手町教育委員会の案内板とマップより) |
■長久手城
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