【長篠古戦場】
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武田勝頼本陣
武田勝頼本陣
■武田勝頼本陣
■医王寺
駐車場=無料駐車場       (2011.7.28現在)

住所=新城市長篠碁石
この時は、長篠城駅北側の国道151号を南東へ進み、 長篠城址信号で、国道257号へ右折。 少しして、医王寺の小さい案内板があるので、 それに従って右折。その先に医王寺。
長篠の戦い
長篠山医王寺は、永正11年(1514)に創立され、 曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶷大和尚によって 開山され、現在7つの末寺がある。 天正3年(1575)、織田・徳川連合軍と武田軍の間に 起こった長篠の戦いでは、ここ医王寺に武田勝頼の 本陣が置かれた。勝頼は長篠城を攻囲し、窮地に陥った 奥平貞昌は徳川家康に救援を要請した。 武田軍と織田・徳川連合軍は設楽原で激突し、 連合軍は織田信長の考えによる火縄銃を用いた戦法によって、 武田軍に圧勝した。医王寺には長篠の戦いにまつわる 伝説が残る。決戦前夜の事、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち、 「明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ」と いさめたところ、夢うつつに勝頼はとっさに傍らの太刀をとり、 老人の肩口に斬りつけた。 老人は煙のように消えたが、翌朝、弥陀池の久葦が全て 片葉となったという。(案内板より)   (右)山門前の武田勝頼公本陣地の碑。
武田勝頼公本陣跡の碑 ふくろう1 ふくろう2
(左)本堂の前の立派な碑。 (真ん中)くろがねもちの前のふくろう(^^) (右)ふと見ると、子沢山のふくろうが。
遠景 登り口 天神山登り口
(真ん中)登り口だけ撮影(^^;) 蒸し暑くて、登りたくなかったので…(^^;)  (右)天神山への登り口。こっちも登らず。
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