【西尾城】

愛知県 西尾城 あいちけん にしおじょう
■西尾市歴史公園=無料    (2007.2.11現在)
■西尾市資料館=無料・開館時間=9時〜17時
休館日=月曜・祝日の翌日・年末年始・臨時あり
駐車場=無料駐車場(錦城体育館駐車場利用)
※2004.9.17(夕方)、2007.2.10(昼) の写真を使用。
住所=愛知県西尾市錦城町231-1
東名高速道路 岡崎I.Cから国道1号を岡崎市方面へ。 岡崎公園を過ぎて少しして八帖交差点を国道248号へ左折。 川を渡って2番目の六妙1交差点を右折し、県道293号を進む。 土井町西交差点から293号→479号に変わり結構走る。 八ツ面西交差点を右折し県道319号へ。 そのまま進み西尾駅の標識に従って、御城下交差点を県道383号へ左折。 すぐに、西尾市歴史公園の看板があって、右折。 すぐに錦城体育館が右にあって駐車。

西尾城
承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた 足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられている。 足利氏は吉良氏と改め、この地を治める。戦国時代末には、 牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主は代わり、 城域も拡大した。田中氏の時代に城域は更に拡張され、 ほぼ確定した。田中氏の転出にともない、 慶長6年(1601)に本多康俊が西尾2万石の藩主として 入った。その後、藩主は松平氏、本多氏、太田氏、 井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と頻繁に代わるが、 いずれも譜代大名だった。明和元年(1764)に山形から 大給松平氏が6万石西尾藩主として来て以来、廃藩まで 5代続いた。西尾所の中核はこの辺りであり、城下町は 周りを外堀で囲んだ特色のある構えをしていた。
二之丸&天守閣跡
錦城体育館の裏側にある天守閣跡。 こんな所にっ!て感じ(笑)駐車場からも、外側の階段からも行くことが出来る。
鍮石門(ちゅうしゃくもん)表&裏から
二之丸御殿の玄関の前にあった門で、古くは「中柵門」、 「玄関前門」と呼ばれていた。大給松平氏が入城した際、 江戸城の本丸御殿の前門であった鍮石門の名に因み、 この文字を充てたと考えられる。 御殿に至る高貴な門と言う意味である。 門は楼門式で、規模が、東西二間二尺(4.2m)、 南北四間半(8.2m)で、高さ二丈二尺五寸(6.2m)だった。 この門前の長さ18.4mを測る内堀に架けられた欄干付の土橋は、 城郭中で最も規模の大きなものであった。 二之丸は西尾城で最も重要で中心となる郭で、中央に 西尾藩の政庁である二之丸御殿を置き、北西隅には三重四階の 天守を配置していた。(西尾市教育委員会の案内板より)
旧近衛邸 丸馬出
白砂を敷いた部分は発掘調査で明らかになった深さ2.5mの二重の 堀の跡である。堀で丸く囲まれた部分は馬出と呼ばれる小曲輪で、 出撃に際して集合場所であり、虎口を守るための重要な場所であった。 16世紀後半の戦国時代に築かれたと推定される。
水堀(本丸と二之丸の間) 二之丸の土塁&大名櫓型時計塔 本丸の土塁
丑寅櫓
本丸に祀る御劔(みつるぎ)八幡宮の東北隅に建てられた 三層の隅櫓。面積は一、二層が三間二尺四方、三層部が 二間二尺四方と狭い建物である。しかし、城内では最も 高い位置にあり、さらに6mの櫓台の上に立つこの櫓からの 見通しは良く、外敵の察知には絶好の地点に建てられた。 櫓の高さは約10m。 外観は古図を参考にして、屋根は本瓦葺、壁面は各層とも 上部は漆喰塗籠、腰部は下見板張とした。 明治の初めに天守閣をはじめ、他の櫓は台供に壊されたが、 ここだけは八幡宮の関係からか櫓台の破壊を免れた。

(右)西尾市の市章「結び井桁」の鬼瓦。 旧西尾城主大給松平氏の道中目印として使用していたもの と伝えられている。  (下の真ん中)本丸丑寅櫓から、西尾市資料館。  (右下)二の丸。
本丸丑寅櫓下の土塁 いろいろな角度から
破壊されなくて良かったなぁ。 (2004.9.17撮影) この時は、どうやっても頭だけって感じだった(笑)
本丸表門跡
姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門式の門で、 規模が、東西二間二尺(4.2m)、南北四間二尺(7.9m)で、 高さ二丈四尺五寸(7.4m)だった。 現在、南側の土塁と石垣は失われたが、北側の丑寅櫓から 伸びる土塁を断ち切る面に積まれた野面積みの石垣と、 石垣に接して二つの礎石のみが残されている。 本丸は土塁が巡り、四隅に櫓が築かれていた。 その中で東北隅の最も規模の大きい櫓が丑寅櫓である。 郭内には西尾城の守護神である御劔八幡宮 があり、本丸は西尾藩の心の支えとなった郭と想像される。 よって、この神社は代々の城主に尊崇され、拝殿前には 城主寄進の石灯篭が建ち並んでいる。 (西尾市教育委員会の案内板より)
姫丸 辰巳櫓跡 姫丸門跡
姫丸は、南・東・北は塀により、西は内堀により囲まれる狭小な縄張りで、 本丸表門前の馬出しの役割を担っていた。 そして、西尾資料館の北方東側に姫丸門があり、鍮石門前の広場と通じていた。 木立の茂る部分は庭園風に改造されているが、南東隅の平坦な場所に 辰巳櫓があった。隅櫓は東西7.3m、南北5.5m、高さ8.2mの二重の建物である。 (西尾市教育委員会の案内板より)
西尾市資料館 本丸と資料館の間の水堀
(左のみ=2004.9.17撮影)西尾市資料館に、西尾城のパンフが置いてある。ちなみに、瓦には大きな葵が…。
東之丸と姫丸との間の堀 東之丸 北之丸
姫丸の中には、東之丸(西尾小学校)へ続く道がある。 (左)左に東之丸で、右が姫丸。堀の名残が残っている。
C12230蒸気機関車
西尾城から一方通行に進むと、右に機関車がある!車を路駐していると、 後方からやってくる車も急停止して路駐。
まさか?と思ったら、やはり目当ては一緒(笑)多分、うちと一緒で 「機関車があるぞ!」と止まったに違いない(笑)

■西尾城…2004.9.17記
岡崎城の後、時間があったので訪れてみた。丑寅櫓の見学 時間は過ぎていたけど、外から見えるし、城内も散策出来て、 これはこれでよかったかなと。ただ櫓はどこの位置からも 木が邪魔なのが難点。もうちょっと見えるといいのに…(^^;) 散々歩き回った後だったから、ちょっと見に来て終わるのも、 なかなかいい(^^)
■西尾城…2007.2.11記
2度目の西尾城。丑寅櫓の内部に入り、木に隠れない角度の 格好いい姿が見れた(^^)ちゃんと見ればあるんだなぁ。 そして前回、閉館時間で入れなかった西尾市資料館も見学。 西尾城の縄張が展示してあるので、今と比べるのも 面白かった♪何より、パンフが貰えるのも嬉しいところ(^^)
                              (写真=柵にも西尾市の市章「結び井桁」が♪)

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