愛知県 緒川城 |
■緒川城(別名=緒川古城)=見学自由 ■古城公園(古城児童遊園) 駐車場=無し(東浦町役場の駐車場を利用。) (2011.7.29現在) ←説明板と城址碑、背後に残存土塁。 |
住所=知多郡東浦町緒川古城、他 この時は、東浦町役場の駐車場を利用して徒歩で。 (東浦町役場までのアクセス) この時は、県道51号を西へ進み、 国道366号との東浦役場東信号で、 直進の県道24号を西へ進んで、 東浦役場前信号で、役場へ入る。 |
緒川城 | ||
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初代緒川城主水野定森守が、文明年間(1469〜1486)に 築城して以来、約130年間水野氏の居城だった。 慶長11年(1606)、最後の緒川城主水野分長(わけなが)が、 三河国新城1万石に移封となり、緒川城は廃城となった。 緒川城は、海岸沿いの平地を裾野にもつ低い山の 中腹に築かれ、城下町と一体となった平山城だった。 城跡の周囲は、三方が山地形で、東側は急な崖になっている。 緒川城に関する史料として、江戸時代初期に描かれた 「緒川村古城絵図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)がある。 絵図には、土塁と堀に囲まれた大小の曲輪が描かれている。 中央から南の一段と大きい曲輪が城の中核を成す 主曲輪で、東西83m・南北95mほどの方形状である。 北の曲輪群は家臣の屋敷地で、その一画は、分長の 時代に居城とされ、「高藪城」と呼ばれていた。 今この地域は住宅地になっており、土塁の一部が残る のみとなっている。字名は、古城(ふじろ)・羽城 (はじょ)・屋敷(やしき)参区に相当する。 (東浦町教育委員会の案内板より・絵図も) (緒川城位置推定図) | ||
案内板 | 城址の北側 | 城址碑 |
(左)北側のフェンスに案内板がある。於大の方が可愛い。 (真ん中)北側の道は堀跡。見上げると残存土塁が♪ | ||
主郭 | 主郭から残存土塁を | 傳通院於大出生地の碑 |
(左)公園。 (真ん中)結構、高さのある土塁! (右)徳川家康の母の於大の方の碑。 背後の高台に城址碑等がある。 | ||
■緒川城
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