【大高城】

愛知県 大高城 あいちけん おおだかじょう
■大高城=見学自由
■大高城址公園
駐車場=無し           (2011.7.30現在)
住所=名古屋市緑区大高町城山
この時は、大高駅から徒歩で。
場所は、大高駅の南西で、 大高駅から向かう道が難しい(^^;) 詳しい地図を持参した方がいいかも。

大高城
知多半島の脊梁山地の末端近くに、 西側が開けた丘陵上に築かれた東西約106m、南北約32mの 山城である。 室町時代、永正年間(1504〜21)に、花井備中守によって 築かれたものと伝えられる。 戦国時代、天文・弘治年間(1532〜58)の頃には、 水野忠氏父子が居城していたが、はじめ今川氏に属し、 後に織田氏についたため、今川方の鳴海城主山口左馬之助に 攻められ、今川義元の家臣鵜殿長照が入った。 永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの時に、松平元康 (徳川家康)が、織田方の包囲の中を兵糧の運び入れに成功し、 そのまま城を守った。元康は義元が討たれ、今川方が 敗走するまでいて、今川方撤退後に父祖の城である岡崎城に入った。 大高城は戦略上の価値を失い廃城となったが、元和2年(1616) 尾張藩家老志水忠宗が城跡に館を構えたが、明治3年に廃止された。 現在は、本丸・二の丸とこれを分ける内堀が良く残っているが、 外堀土塁などは急傾斜の地形を安全上の理由から改変し、 昔の面影は薄い。(名古屋市教育委員会の案内板より)
案内板 遠景 大高川
(真ん中)遠景は見えたものの。 なかなか近づけなかった(^^;) 暑いから、さらに遠く感じた。 (右)北東の大高川。
辻の秋葉社
■辻の秋葉社… 古来この辺りを「辻」と呼び、大高の中心だった。 道路は昔の大高城下町そのままのカギ形になっている。 江戸時代半ばには、市が開かれ賑わった場所である。 幕府の命令を知らせる「高札場」もここに設けられ、 「キリシタン禁制」の高札が掲げられていた。 明治時代になり、役場・郵便局・学校もこの周辺に 設けられた。この秋葉社は、18世紀後半から 19世紀初め頃、創建されたものである。 大高は火災が多かったことから、火伏せの神として 信仰されてきた。 今でも、決まった日に祭事が行われている。 手洗いの石には、窪みが多数見られる。これは、 「盃状穴(はいじょうけつ)」といい、村人が願掛けに、 石で衝いたものではないかと言われている。 (大高歴史の会の案内板より)
登城口 城址碑 帯曲輪?
(左)ようやく民家の間を歩いて登城口に到着。 (真ん中)入口には、説明板や城址碑が。 (右)帯曲輪かな?
本丸 奥に… 城址碑
(左)真夏だからこそ緑がきれい!でも、暑い…(^^;) (真ん中)日陰が嬉しい。この奥に…。 (右)城址碑がある。
土橋 二の丸 本丸と二の丸の空堀
(左)本丸から二の丸への土橋。 (真ん中)パッ!と開けて、また広がる緑! (右)とても素敵な空堀!写真は難しい。

■大高城
今回、丸根砦→鷲津砦→大高城を見学予定だったけど、 駐車場や路駐スペースも無さそうだったので、 大高緑地の駐車場へとめて、徒歩で向かった。 最初は元気だけど、夏の暑さにやられて、大高城へ 着く頃前に、500mmのペットボトルを1本平らげて、 2本目を購入し、その場でゴクゴク! 大高城の登城口が分からず、途方も無く歩く感じが 辛かった…(^^;) でも、空堀は素敵だった!土塁もいい感じだった! 見学時間は、サクサクッと約5分(^^;)

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