【重原陣屋】
愛知県 重原陣屋
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■重原陣屋=見学自由
■浄福寺
駐車場=浄福寺の無料駐車場 (2011.7.29現在)
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住所=刈谷市下重原町5丁目
この時は、県道48号を刈谷駅方面へ北西へ進み、
下重原町信号を右折。線路の上を渡って、
すぐの道を右折。
道なりに左折、道なりに進んで(左カーブっぽい)
左折。左側に浄福寺。
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重原陣屋 |
陣屋跡と福島領の碑 |
■重原陣屋…寛政の一揆によって、刈谷藩は幕府から
村替えの処分を受け、重原村・野田村・小垣江村等
18か村を、奥州の福島領・幕府領の一部と交換する
ことになり、以来福島藩はこの地に陣屋をおいて
郡代により三河の飛地を治めた。
■福島領の碑…江戸時代に東海道筋の福島領の西
端にあった(牛田村と池鯉鮒宿の境)ものを、
ここに移築。
(刈谷市教育委員会の案内板より)
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願行寺の山門(重原陣屋の正門) |
この門は、もと福島藩の三河国飛地の支配陣屋の正門で
あったものを、廃藩後、半城土村が買い受け、明治7年
(1874)願行寺の門として現在地に移築したもので、
刈谷市指定文化財となっている。
刈谷城を中心に2万3千石の領地を支配していた
刈谷藩主土井氏は、西尾在城時代から財政が窮迫し、
刈谷に替わってからも農民に多くの負担を与えたので、
寛政2年(1790)に農民一揆が起こった。
この結果、刈谷藩は、寛政4年に1万3千石を奥州の福島領・
幕府領の一部と村替えの処分を受け、重原・高須・半城土・
野田などの村々は福島領となり、福島藩は重原村に陣屋を
置いてこれらの飛地を支配した。
現在、下重原町5丁目の重原公民館前がその陣屋跡で、
刈谷市指定史跡となっている。
(刈谷市教育委員会の案内板より)
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■重原陣屋
石碑と移築門が見られたのは、よかった(^^)
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