【勝幡城】

愛知県 勝幡城 あいちけん しょばたじょう
■勝幡城=見学自由
駐車場=無し(この時は路駐)  (2011.7.30現在)
住所=稲沢市平和町城之内
この時は、県道79号を西へ進んで、 諏訪信号で県道121号へ右折。 県道121号を道なりに北上し、 那古良橋西信号で左折、その先の嫁振橋の 手前左側に、城址碑がある。

勝幡城
この勝幡城跡地は、信長の祖父織田信定公が 「天の利」「地の利」「和の創造」を実行する 拠点と決め、津島港と尾張国府(稲沢市)の松下とを 三宅川で往来し、尾張西部を手中とした。 信長の父信秀公が、津島を拠点にして勢力を拡大し、 巨万の富を権勢拡大に使い、尾張の雄となった。 信長の誕生は、1543年5月、平手政秀公による養育で 「うつけ」として就業し情報を万人よりもらい天下人となり 平定に務めた。 (信長生誕を育む会・会長 野島精二の案内板より)

(左)嫁振橋の欄干に描かれた復元図。
勝幡城址碑 嫁振橋 織田弾正忠の碑と標柱
(左)嫁振橋の東側。 (真ん中)東側から嫁振橋。桜の模様が可愛い。 欄干には復元図や日光川の絵図が♪
(右)日光川の堤防の下の織田弾正忠信定古城跡の碑と 勝幡城址の標柱。場所が分からず難儀した(^^;)
日光川
(左)南側。車中から写したら手すりが…(^^;) (真ん中)北側。 (右)嫁振橋の欄干に、日光川の絵図が。

■勝幡城
勝幡城址碑までは難なく来れたけど、織田弾正忠の碑を 探すのに手間取った(^^;)堤防の上を車で走りながら、 堤防の下を見下ろすと、木に隠れそうになりながら、 織田弾正忠の大きな碑と勝幡城の標柱が、 こちらを向いて立っている! おかげで、堤防の下へ下りることなく、上から写すことができた♪

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