【浅舞城】

秋田県 浅舞城  あきたけん  あさまいじょう
■浅舞城=見学自由
■三吉神社、白山神社・宿館会館
■浅舞感恩講保育園(御役屋門)、琵琶沼
駐車場=無し(この時は路駐)  (2010.9.25現在)
←三吉神社、白山神社・宿館会館にある城址標柱。
住所=横手市平鹿町浅舞館廻
横手市平鹿町浅舞浅舞(浅舞感恩講保育園)
この時は、国道107号から新堀信号で県道117号へ南下。 県道117号が左折する所を、反対側へ右折。 すぐに左折して、少し先の右側に三吉神社、 白山神社・宿館会館がある。 そこを南下して、舞鶴酒造を過ぎて、少し先の路地へ 左折すると、保育園がある。 ただ、狭くて大変だったので、 市役所側から入る方がいいかも?どちらにしても、 狭かったような…(^^;)

浅舞城
浅舞城は、天正年間に小野寺光道によって築かれた。
浅舞のケヤキ(御役屋跡)&御役屋門
指定当時で樹齢500年以上、幹回り8.3m、樹高35m、 枝張り30mあったが、現在は枝が伐採されている。 木の由来については栽植か自然生のものか、また いつ頃のものかはっきりしない。 江戸時代、この木の西側に御役屋が建てられ、 明治初期まで平鹿郡の司法、行政の中心であった。 御役屋の門は、浅舞感恩講保育園に移され、 今も残っている。 (平鹿町教育委員会の案内板より)

浅舞感恩講保育園に御役屋門が移築され、 この付近にケヤキがある。樹齢500年以上とは!!
藩公の鷹
佐竹藩主義隆公の御来遊の時、御鷹は大ケヤキから 飛んで、六日町の西田甫の鍋子清水松の木に止まった。 その前に、老人夫婦の武士が居た。浪人は其鷹を見て、 縫針を手裏剣にして投げ付けた。それが両眼を射抜いて、 鷹は落ちて死んだ。鷹を逃した方も、鷹を捕った方でも、 話は大きく評判になった。浪人は藩公の御鷹であると 知って驚いて、その日に夜逃げをした。 翌日、藩公は其事を知って、愛鷹よりも浪人の武芸達者を めでて、捜索させたが、行方が分からなかった。 よって愛鷹を構内に埋めたのが、鷹塚として近頃まで、 雪の出羽路の画図の通り、老木の下に丸形の石があった。 (鷹塚之記より・案内板より)
ケヤキの横にある。凄い技だけど、鷹が可哀想だなぁ…(TへT)
琵琶沼(トゲウオの生息地)
この琵琶沼には、町の人がハリザッコと呼ぶ トゲウオが生息している。氷河期から生き残って きたといわれるトゲウオは、清水などのきれいな 冷水に生息する魚である。 琵琶沼に生息するトゲウオは、トゲウオ科に属する トミヨとイバラトミヨという二種類の淡水魚である。 日本にはこの二種類が一緒に生息している場所が 数ヶ所しかない。水が汚れたり湧水が渇れたりして、 トゲウオの生息できない環境となったからである。 体長5〜6cmのトゲウオは、雄が巣を作り、卵や 仔魚(卵黄を持っている稚魚)を守るという特異な 習性を持っている。背びれ、腹びれ、尻びれに トゲがあり、鱗が変化した鱗板の配列によって トミヨとイバラトミヨを区別する。 雄は水草の破片や藻を使って、3〜4cmの球形の巣を つくる。産卵期は3月から10月頃までと長く、雄は 巣に複数の雌を誘い産卵させる。雌が1回に産卵する 卵の数は150個前後。卵が孵化し、仔魚が巣立つまでは 20日ほど。その間、雄は外敵の攻撃を防いだり、 巣を直したりして動き回る。そして、1年半ほどで 生涯を終える。 (平鹿町教育委員会の案内板より)
 浅舞感恩講保育園、ケヤキの奥へ進んだ所にある琵琶沼。

■浅舞城
どこも道が狭くて大変だけど、標柱や樹齢500年以上のケヤキが 見ることができてよかった(^^)
横手と言えば、横手焼きそば(^w^)この付近に、 食べることのできる所があったので、行ってみた♪Pもあるし。
今回食べたのは、古き良きって感じの外観のお店。 うちだけだったけど、話しかけられることも無く、マイペース。 寒い日だからか、お味噌汁をサービスして頂いた(^w^) 味は、勿論美味しかった!!そういえば、置物?ってくらい、おとなしい猫が可愛かった〜♪

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